中学2年になった頃から、卒業するまでいじめられていました ゆうき

中学2年になった頃から、卒業するまでいじめられていました。
「変態」と呼ばれ、同級生の家に呼ばれては、性的ないじめを繰り返されました。
殴られたりはされなかったのですが、性的な事に興味を持ち始める年代だった同級生達にとって、第二次性徴の真っ只中だった僕の身体はいい実験台というかおもちゃだったんだと思います。

一番最初は、ただ友達の家に遊びに行っただけのつもりでした。
家につくなり、服を全部脱ぐように言われました。
断ると、4人の男子に囲まれ、スゴまれました。
結局、全裸になったのですが、性器を手で覆っていると、また「隠すな」とスゴまれました。
4人の男子が床に座って囲む中、僕は性器丸出しでまっすぐ立たされました。
まだ陰毛が生えておらず、「お子ちゃま」だとえらく笑われたのをよく覚えています。
全裸にされた僕は、その格好のまま150mほど離れた自動販売機にタバコを買いにいかされる事になりました。
夕方でしたが外はまだまだ明るく、ほとんど人通りはないものの、絶対にないとは言い切れない通りだったので、さすがに僕は激しく抵抗しました。

しかし、言い出した方も引っ込みがつかないようで、結局Tシャツだけは着てもいいという事になりました。
Tシャツはごく普通の長さなので、それを着ても性器やお尻は丸出しでした。
僕は諦めて彼らのいう通りにするしかありませんでした。
僕が従う気になったのを見て、彼らはまた命令を増やしました。
「性器を隠さない」「絶対に走らない」というものでした。
僕はまだ明るい通りを、性器丸出しでタバコを買いにいかされ、彼らはその姿をベランダからゲラゲラ笑いながら見ていました。

タバコを買いに行かされた日から1週間ほどたったある日の夜、家に電話があり呼び出されました。
家の近くの公衆電話(当時は携帯などなかったので)のところで彼らが待っていました。
僕は彼らに押されるようにしながら、7,8分ほど歩いたところにある広い公園につれていかれました。
その公園には藤棚のあるベンチがあり、中央にレンガで作ったテーブルのようなものがあるのですが、彼らはベンチに座ると、僕にそのテーブルに立つように言いました。

正直、その時点で、この後何をさせられるのかわかってはいたのですが、僕に彼らに逆らう勇気は既になく、その上に立ちました。
案の定、着ているものを全て脱ぐように言われました。
以前に一度見られているので、その時ほどの抵抗感はありませんでしたが、やはり他人に性器を見られるのは恥ずかしいもので、
しばらくは抵抗していたのですが、明らかに機嫌が悪くなってきたのがわかり、上着から順に脱いでいきました。

その公園は照明が故障しており、夜間の人通りもまずないので、他人に見られる心配はほとんどないのですが、
さすがに野外で全裸という格好はかなり抵抗を感じました。
突然、彼らの内の一人が僕の脱いだ服を持って走り出しました。
他の子達も彼につられて走り出し、僕は全裸のまま呆然としていたのですが、どんどん遠ざかる彼らを追いかけはじめました。
しかし、明かりもほとんどない広い公園で、彼らの中の服を持った子を発見し、それを奪い取る事など不可能だと悟り、水のみ場の辺りで座り込んでしまいました。
すると彼らは、諦めた僕の周りに戻ってきました。

一人が何かを思いついたようでした。
その水のみ場のところに座ったら、服を返すと言うのです。
始めは彼らの言う意味が理解できませんでした。
その水道は、公園でよく見かける、口が丸くなった上向きの飲む為専用の水道でした。
その水道の丸くなった部分を肛門に挿入できたら、服を返すという事でした。
従うしかない僕は、とりあえずその水道を跨ぎ、飲み口を肛門に押し当てましたが、挿入する勇気がありませんでした。
しばらくそうしている内に、僕は足元の段差を踏み外してしまい、自ら飲み口を肛門に挿入してしまいました。想像していたような激痛はありませんでしたが、入ってしまったという衝撃と精神的なショックが大きかったです。
彼らはそのまま我慢するように言い、僕を立てないように押さえつけると、なんと水道の蛇口をひねりました。
さすがにそこまではしないだろうという僕の期待は一瞬で裏切られました。
身体の芯から「シューッ」という音が頭に響き、お腹が膨らんでいくのを感じました。もうまともにしゃべることもできず「ううっ」とか「ああっ」とかうめき声のようなものしか出ません。
ほんの十数秒だったとは思いますが、彼らが離れるのと同時に、僕は飛び跳ねるように水道から立ち上がりました。今まで経験した事のない強烈な便意を、辛うじて押しとどめているという感じでした。

まっすぐ立ち上がることができず、お腹を抱えて立ち、公衆便所を探しました。
50mほどのところにあるのはわかりましたが、とても遠いところにある気がしました。
それでも僕は便所に向かおうとしましたが、彼らは面白半分に僕の両手をつかみ、便所に行かせるどころか、お腹を押さえる事すら許しませんでした。
彼らは1分間直立できたら便所に行かせてくれるといいました。
僕は、強烈な腹痛と便意を耐える決心をしました。
手を身体の横に沿わせ直立の姿勢になりました。足がガクガク震えてしまいます。
30秒ほどだったと思います。
頭がボーッとして限界が近づくのがわかりました。
次の瞬間、僕は彼らの目の前で、直立の姿勢のまま大量のうんちを漏らしてしまいました。
急に涙が出て止まらなくなり、しゃがみこんでしまいました。いつのまにかおしっこも漏らしてしまっていました。
しばらく泣き崩れていましたが、気がつくと彼らの姿はなく、四方八方に僕の服が散らばっていました。
なんとか服をかき集め家に帰りましたが、さすがに次の日から3日ほど学校にはいけませんでした。

公園での一件があってから初めて登校した時、彼らは僕に謝りにきました。
しかし、どう見ても反省している様子ではなく、「謝ったんだから、これからもよろしく。」つまり、また呼び出したら来いよという、脅しじみたものでした。
そして、案の定その翌日には早速放課後残るように言われたのです。
今回は全裸ではなく、下半身だけでした。
僕はズボンとパンツを脱ぎました。
正直、排泄まで見られて、これ以上隠すものはないと思っていたので、あっさり諦めてしまいました。
すると、彼らは急に騒ぎ出しました。
なんと自分でも気づかない内に、うっすらとほんの5ミリ程度ですが、性器の上部に陰毛が生えてきていたのです。
自分でも気付かなかった身体の成長(性徴)を同学年の同性に指摘され、しかもそれを笑われるというのは、ある意味、排泄を見られるよりも恥ずかしかったです。
そして彼らは、あらかじめそのつもりだったのか、僕の発毛をみたからなのか判りませんが、新たな要求をしてきました。

彼らは、僕にオナニーし射精するように言いました。
僕はオナニーの事は知っていましたが、正直なところ、この時までオナニーというものをした事がありませんでした。
夢精の経験もなかったので、自分の性器から精子が出るなんて想像もできないことでした。
した事がないという事を彼らに言うと、とにかくペニスをしごけと言われました。
僕は、自分のペニスを握り、ただなんとなくしごきました。
自分でも驚いたのですが、しごきはじめて、ものの数秒で硬くなりはじめ、1分ほどで完全に勃起してしまったのです。
彼らは腹を抱えて笑いながら、しごき続けるように言いました。
ひたすらしごき続ける事30分以上、なんとなく気持ちいい感じはあるのですが、それだけという感覚が続き、彼らも飽きてきたようです。
「もういい」と言われ、そのまま、彼らは帰ってしまいました。
実は、この夜風呂場でペニスをしごいてみました。
が、やはり射精にはいたりませんでした。
次の朝起きてみると、ペニスが少し腫れ、痛いような熱いような変な感じでした。

彼らの呼び出しは頻繁になり、三日に一回ほどの割合で続きました。
使われていない教室や、部室、夜の公園など、人目につかない場所で、ひたすらオナニーをさせられました。
そのたびに全裸になり、完全に彼らの見世物と化していました。
ある時などは、理科室の大きな机の上に大の字になり、彼らに囲まれる中でオナニーをさせられました。
この頃には、生え揃うには程遠いものの、ペニスの上部には明らかに陰毛とわかる発毛がありました。
しかし、この時まだ僕は射精に至っていませんでした。
彼らは呼び出しの度に執拗にオナニーを強要し、射精するように言うのですが、
どうしてもできませんでした。

皆さんにもわかると思いますが、
第二次性徴を迎え、身体に変化が起こるこの年頃に、同級生に強制的にその全てを見られ、
その身体の変化を笑われるという事がどれほど恥ずかしい事か。
僕も、何度も繰り返され、恥ずかしいという感覚がだんだんと麻痺してはいたものの、やはり、全裸やオナニーを強要される事はとても辛い事でした。
しかし、彼らの前でペニスをしごきはじめると、そういった理性を無視して、ペニスが勃起してしまいました。
僕は辛い事を強要されているにも関わらず、ペニスを勃起させてしまう自分の身体が憎くなっていくのがわかりました。
そして、自分は周りの人たちとは違う変態なんだと強く思うようになっていきました。

ある日、また呼び出しを受け運動部の部室にいきました。
いつものように全裸でオナニーをするように言われました。
しごき始めると、すぐに勃起しました。
しかし、彼らはここまでの姿は見飽きているようで、当たり前のような顔です。
それどころか、その日はかなり機嫌が悪く、素直に従っているにも関わらず、かなり不満そうでした。
もう何度も射精するように言われているのに、未だにできないでいる事に対する不満である事は明らかです。
彼らは、僕に四つんばいになるように言われました。
初めての事で、僕は動転しましたが、彼らの言うとおり四つんばいになり、彼らにお尻を向けました。
僕の通学かばんをごそごそあさっているのがわかりましたが、何をしようとしているのかまではわかりませんでした。
彼らの内の一人が僕の上に馬に乗るように跨ってきて、
僕は動けないように押さえつけました。
はっきりとは聞こえませんでしたが、「いくぞ」というような声がきこえました。
次の瞬間、肛門に何か細くて硬いものが当てられ、そのままずずっと挿入されました。
「ああーっ!」と声を上げ、逃げようとするのですが、彼らにがっちりと押さえ込まれ、わずかに動く事しかできません。
その間にも、その硬い何かは僕の肛門にどんどん挿入されていきます。
痛みはあまりないのですが、衝撃と恐怖はかなりのものでした。
そのうち、肛門の奥で何かにつっかえたようで、鈍い痛みに襲われました。
僕は腸が破れるんじゃないかという恐怖のピークで、「許して下さい」と連発していました。
しかし彼らはやめてくれないどころか更に奥深くへ挿入しようとします。
僕は押さえつけられたお尻を必死で動かして逃げようとしました。
すると、ずぶっという感覚と共に、更に奥まで何かが挿入される感覚がありました。
「おっ、入った」という声が聞こえました。
はじめは腸が破れてしまったのではないかと思いましたが、痛みはありません。
動いた事で、つっかえていたところを通り過ぎたようです。

彼らは、僕を押さえつけたまま、次射精できなかったら罰として浣腸すると言いました。
浣腸というのは、以前夜のに公園で水飲み場の蛇口を肛門に挿入したあれです。
僕の辛い経験の中でも、ずば抜けて辛く苦しい事でしたが、
その体勢でいやだとは言えず、「わかりました、頑張ります」と答えさせられました。
そして、肛門に何かをそうにゅうしたまま、証拠だと言って下記のような証文を書かされました。
「約束状  私○○ ○○(僕の名前)は、○○様、○○様、○○様、○○様、○○様の前でオナニーをし、初めての射精を披露する事を誓います。
もしできなかったら、罰として浣腸の刑を受ける事を約束します。  ○月○日」
そして、その証拠として、僕は2センチほどに伸びた陰毛のほとんどを彼らに毟り取られ、その約束状にセロテープで貼りました。
彼らにむしられ、まばらになった残りの陰毛は、粘着テープで全て抜かれました。
やっと開放された僕は、自分で肛門に挿入されていたものを抜きました。
身体に刺さった矢を抜くような気持ちで、おそるおそるそれを抜きました。
僕のペンケースに入っていた13、4センチほどの赤いボールペンが、端の赤い部分だけを残してほとんど肛門に挿入されていました。
そして、ペンの先から半分ぐらいまでが茶色く汚れてしまっていました。

僕は次の呼び出しが怖くて怖くて仕方がありませんでした。
射精する自信は全くありませんででしたし、できなかった場合の浣腸の苦痛の記憶が生々しく残っていたからです。
幸いにも、しばらく呼び出しはありませんでしたが、
夜になると、「明日か?」と怯える日々が続きました。
そして、その度に浣腸された時の事を思い出しました。
肛門に蛇口が挿入され、そこから勢いよく冷たい水が注がれるツーンという感じの鈍い痛み、しばらくしてから感じる下腹部の膨れていく感覚と徐々に強くなる便意、そして、下痢の時の様な激しい腹痛と便意にも関わらず排便を許してもらえず、激痛の為にガクガク震える身体。
もう一ヶ月以上前の事でしたが、昨日の事のように鮮明な記憶でした。

いつか、いつかと怯える日々が続くうちに、僕の身体にある変化がある事に気がつきました。
彼らにされた事を思い出したり、浣腸されてしまう事を考えたりする度に、ペニスが勃起してしまうのです。
初めは、全く関係ない事だと思っていたのですが、その内に自分がいじめられる事を考える事で勃起し、更に、とてもいやらしい気持ちになってしまいました。
夜だけではなく、授業中ですらビンビンに勃起してしまうようになっていました。
気持ちとは反対に反応してしまう自分の身体がますますいやになり、自分は変態だからいじめられても仕方がないと思うようになっていきました。

僕はいじめられるのが好きな訳ではありませんでした。
苦痛も辱められる事もいやでいやでたまらない事でした。
ただ、自分のいやらしい変態の身体が許せないという気持ちが芽生えつつあって、自暴自棄のような状態でした。
誰でもいいから、自分のいやらしい身体にお仕置きや罰を与えて欲しいと思うようになっていきました。
ある日の授業中、僕はまたいじめられている時の事を思い出し、勃起してしまいました。
ふと机の上を見ると、ペンケースには以前肛門に挿入されたものと全く同じボールペン・・・
授業が終わると、僕はそれを握り締め一目散にトイレの個室に駆け込みました。
制服のズボンと下着を脱ぎ、扉の上のフックに吊り下げました。
ペニスは勃起だけではおさまらず、心臓の鼓動に合わせてびくびく動いています。
この時、異常に汗をかいていたのをよく覚えています。

僕は、大便をする時のように和式便器をまたいでしゃがみました。
そして、手にしているボールペンをよく見ました。
じっとりと汗でしめったそれの先端を確認してから、僕はそれを背中の後ろから手をまわし、肛門に当てました。
ぐっと力を込めると、軽い抵抗はあるものの、簡単に半分ほどが入っていきました。
もっと厳しい罰をと思い、中をかき混ぜるように大きくグルグルまわしました。
肛門を支点に直腸内が掻き回され、腸壁をこするような痛みがありました。
覚えてはいませんが、呻き声が出てしまっていたかもしれません。
罰のつもりで始業のチャイムがなるまで、延々続けました。
痛みも初めより増していましたが、僕は意を決してボールペンを更に押し込み、ついには彼らにされた時のように、端の部分だけを残して全て挿入しました。
僕は、そのまま下着をとズボンを履きました。
いつのまにか勃起したペニスは、元の包茎で人差し指ほどの情けない大きさに戻っていました。
ボールペンは戒めとして家に帰るまで抜かない事にし、教室に戻りました。
既に先生が来ており、すぐに席につくように促されました。
僕はゆっくりと椅子に腰を下ろしました。
誰も、僕の肛門の奥深くにボールペンが挿入されているなんて思いません。
椅子にボールペンを突き上げられ、腸の奥に鈍い痛みが走りましたが、僕は何事もないように振舞いました。
痛みを隠す事も、自分への戒めだと言い聞かせて、その日は結局家に帰るまでボールペンを挿入し続けました。
自分の部屋でボールペンを抜き見てみると、茶色い便とは別に赤い血が少しついていました。

約束状を書かされてから2週間ほどたった日、ついに恐れていた呼び出しを受けました。
体育館の裏の、 舞台に直結している5段ほどの階段のところでした。
放課後でしたが、まだ夕方で明るかったのですが、彼らは事も無げに全裸になるように言いました。
普通に考えればとんでもない事なのですが、
彼らにしてみれば、明るい中での全裸など慣れっこなのでしょう。
僕が全裸になると、彼らのうちの一人がポケットから何かを取り出しました。
使い捨てカメラでした。
当時はデジカメや写真が撮れる携帯などはありませんでしたが、
それで僕の初めての射精を撮るつもりです。
彼らは、僕が勃起して、オナニーをし、最後に皆の前で射精する瞬間までを記録としてのこしてやるから感謝しろと言いました。
僕は彼らの言うまま
「僕の成長記録を残して頂いてありがとうございます。頑張って射精するので、その瞬間をよく見ていてください。」
と言わされました。
土下座させられて言うのですが、自分がどこまで堕ちていくのかという不安と、悲しさ、変態であるという実感など、色んな気持ちが入り混じり、思わず涙が溢れてしまいました。
彼らにしてみれば、僕が泣く姿もただのおもしろいイベントに過ぎません。
最初の一枚は、僕が泣きながら土下座している姿でした。
次にまっすぐ立ち、手を体側に沿える気をつけの姿勢で全身写真を撮られました。
以前無理やり毟られた陰毛は、毛根ごと抜けてしまった部分もあり、少し生えてきた部分と、全く生えていない部分ができてしまっていました。そのせいで、未だに僕の陰毛はところどころにツルツルのままのところがあります。
次に彼らは僕に階段の一番上に、股を開いて腰掛けるように言いました。
まだペニスは小さいままでしたが、それも写真に収めると、オナニーを始めるように言いました。
ペニスをしごき始めると、すぐに反応し、包茎のペニスの皮がむけてピンクの亀頭が出てきました。
彼らは、勃起の過程を撮るために、微妙な変化の度に手を止めさせ撮影を繰り返しました。
多分、きれいに勃起の順番通り撮影されていたと思います。
完全に勃起すると、彼らは階段の前に座り、僕のペニスを凝視しながら、射精しそうになったら言うように命令しました。

30分以上しごいていたと思います。
ペニスはぎんぎんに勃起しているのですが、射精しそうな気配はありません。
彼らも苛立っているのがわかります。
待ちくたびれた彼らの内の一人が、へたくそだからだと言いました。
彼は見とけと言い、なんと自分のペニスを出し、僕に見せました。
僕は、その時ほど間近で同級生の性器を見た事がありませんでした。
それは、健康ランドの浴場などで見る大人のペニスと全く変わりがないほど立派なもので、勃起していない状態でも、僕の勃起したペニスほどの大きさがあり、皮は剥けて亀頭も完全に露出しており、陰毛も黒々と生え揃っていました。
自分のペニスと比べると、完全に大人と子供でした。
周りで見てた者も、勢いで次々にペニスを出しました。
始めに出した彼だけではなく、5人全員が立派なペニスでした。
始めに出した人がペニスをしごき始めると、大きいペニスが徐々に更に大きくなっていきました。
明らかに10センチ以上はあり、腹側に大きく反り、ついには亀頭が腹に付くんじゃないかというほど勃起していました。
僕は、手を動かすのも忘れて見入ってしまいました。
周りも皆その様子を見ていたのですが、
急に彼の手が止まり「おい!」と怒鳴りました。

ふと我にかえると、僕は完全に手の動きを止めていました。
そして、僕のペニスはまた元の情けない包茎ペニスに戻ってしまっていたのです。
そして、この時点で僕の2度目の浣腸が決定してしまいました。
彼らは自分のペニスをしまい、全裸のままの僕を引っ張っていきました。
浣腸される事はわかりましたが、校内に公園のような丸い蛇口の付いた水道はありません。
体育館の裏には花壇があり、その為の水道があります。
僕はそこに連れていかれましたが、そこの水道は普通の蛇口の水道です。
彼は、その蛇口に付いていたホースを外し、その口を上に向けて言いました。
「おい!自分でコレをケツの穴に差し込め!」
蛇口が回るタイプの普通の水道でしたが、それを肛門に挿入して浣腸されるようでした。
呼び出しまでの長い間に、ある程度の覚悟ができていた僕は、はいと答えて水道をまたぎました。
彼らは僕を囲むように見ています。
思い出したかのように、彼らの内の一人がカメラを取り出し写真を撮りました。
彼は笑いもせずに、真剣に撮影をしているようです。
水道に跨る姿、徐々に腰を落とすところ、肛門に蛇口が触れる瞬間、そして、肛門に蛇口が挿入するところ。
蛇口を5センチほど挿入したところでは、様々なアングルで肛門付近を撮影されました。
そして、片手でカメラを持ちながら、もう一方の手を蛇口に手を伸ばし、きゅっと蛇口を回しました。
公園の時とは比べものにならないくらいの勢いで水が直腸に流れ込んできました。
身体の芯を通してゴーッという音が聞こえます。
周りから「動くなよ」と言われるのですが、10秒と我慢できませんでした。
飛び跳ねるように蛇口を抜くと、
蛇口からは50センチほども吹き上がっています。
それだけの量と勢いの水が注がれたのです。
以前より時間は短かったと思いますが、確実に倍以上の量の水が腸に入っています。
腹痛は前ほどではありませんが、便意は更に強烈で、「出るー出るー」と呻きながら、肛門を必死で締めていました。
その間も彼の撮影は続き、やっと、四つんばいなら出させてもらえる事になり、
噴水のように排泄する肛門も写真に撮られました。

彼らは、呼び出しの度にオナニーをさせ、できなければ毎回浣腸すると宣告し、僕にカメラの現像をするようにいって、カメラを置いて帰っていきました。
後日、校区外の行った事のないカメラ屋を選んで現像を頼んだのですが、受け取りの際に、フィルムの状態が悪くて何枚か現像できなかったと言われました。
僕の泣き顔や、ペニスの写真、肛門から大便を噴出す瞬間など、27枚撮りの全てを使ったはずが、全裸で土下座をしている写真1枚だけが入っていました。
顔を伏せたままで、全く誰だかわかりません。
ネガを見ると、その写真以外はすべて感光して真っ白くなっていました。
僕がいじめられているという事を悟ったカメラ屋さんの優しさだったのでしょう。

次の日の放課後、現像した写真を彼らに持っていきました。
僕のせいではないのですが、案の定彼らは激怒しました。
そして、すぐに新しいカメラを買ってくるようにいいました。
そのカメラで何を撮るのかはわかっていますが、僕に逆らう勇気などなく、
すぐに近くの写真屋でカメラを買ってきて彼らに手渡しました。
運動部の部室に連れていかれ、いつものように、僕は彼らの命令に従い全裸になると、四つんばいの格好になるように言われました。
すると、彼らは僕のズボンからスルスルとベルトを抜き取りました。
彼らの怒りは収まっていなかったようです。
彼らは、四つんばいの僕のお尻にベルトを打ち下ろしました。
びゅっと空気の音がしたその直後、お尻から腰の辺りにかけて熱い火を押し当てられたような痛みを感じ、僕は思わず飛び跳ねました。
僕が四つんばいの体勢を崩した事で、彼らはまた怒り始めました。
絶対に動くな、四つんばいのまま耐えろ、というのですが、ベルトの痛みは強烈で、僕はまた逃げてしまいました。
「おい、またアレやってやれよ」彼らは、僕を押さえつけると、ペンケースからボールペンを見つけ出し、僕の肛門に押し込みました。
以前同じ事をされた時、僕がおとなしくなって、何でも言う事を聞いたのを覚えていたのでしょう。
挿入される瞬間、肛門に軽い痛みがはしったのですが、彼らに伝わるはずもなく、ズズッと奥まで差し込まれました。

また、ほぼ根元まで挿入されてしまったようです。
腸のかなり奥の方に、はっきりとわかる痛みがありました。
しかし、僕の「痛い」という言葉などおかまいなしに、またベルトによる鞭打ちを再開しました。
直腸内のペンが、動いた拍子に刺さってしまうのでは、という恐怖のせいで、彼らの思惑通り、僕は動けなくなってしまいました。
彼らは、それぞれ自分のベルトを使って僕のお尻を打ち続けます。
打たれる痛さも辛いのですが、たまにベルトがペンにあたり、更に奥に押し込まれる瞬間に走る鋭い痛みが、とても恐ろしく感じられ、「痛い」とか「あぁ」といった呻きを漏らしていました。
そして、何十発もの鞭打ちでお尻の感覚がなくなってきた頃、彼らも飽きてきたのか、やっと彼らの手が止まりました。
そして彼らは、ペンが刺さったままのそのお尻をカメラにおさめ、仰向けになるように言いました。
床にお尻を付けると、しびれたような感覚で、自分のお尻ではないような感覚でした。
触ってみると、とても熱くなっており、深いみみず腫れが無数についていました。

仰向けになれというのは、単なる「仰向け」ではなく、彼らと僕の間のある決まりになっていました。
仰向けになり、足を90度ほどに曲げ、そのまま大きく股を開きます。
手はへその上で組み、性器を隠す事は絶対に許されません。
この体勢が僕の仰向けです。
初めて部室に連れてこられた時に、彼らが決めたオナニーの時の体勢で、「仰向け」と言われれば、理科室のような机の上では大の字、床ならこの体勢になることになっていました。
つまり、彼らに「仰向け」と命令されたら、僕は彼らの手を焼かせないように、自ら性器がよく見える体勢になり、オナニーの準備をするという事なのです。
彼らは、これを「しつけ」と言い、できなければ当然のようにお仕置きが待っていました。
さいわいな事に、僕はこの「しつけ」をよく守ったので、この事でお仕置きをされる事はほとんどありませんでした。

僕は「仰向け」になり、彼らに性器を晒したのですが、
この時の恥ずかしさは、これまでと違い、かなり特別なものでした。
というのも、前回彼らに呼び出された時に、彼らの立派なペニスを見てしまっていたからです。
浴場などで見る、大人のそれとたいして変わらない大きさと、
完全に剥け、露出した亀頭、茶色くどっしりとした質感と、それを囲うように黒々と生え揃った陰毛。
それに比べて、自分の性器の未熟な事。
ベルトの鞭打ちのせいで縮み上がったペニスは、大げさではなくわずか4,5センチほど、勃起しても彼らの平常時ほどのサイズに過ぎませんし、皮は完全に亀頭を覆い、勃起しても手で剥かないと露出しない仮性包茎。
そのせいか、亀頭はまだまだピンク色で、ペニス自体も生白く、おまけに陰毛もほとんど生えていない。
知らない人が見たら、誰も同級生とは思わないでしょう。
自分の身体の成長が遅い事はよくわかっているつもりでしたが、
同級生の平均的な成長を目の当たりにした僕は、更に自分の身体に嫌悪感を覚えていました。
そんな最中ですから、ちゃんと成長している彼らの前に、自分の情けない性器を晒すのは、今までに感じた事のない辛さと恥ずかしさでした。
しかし、彼らがそんな事に耳を傾ける訳もなく、
「仰向け」という言葉ひとつで僕が情けない姿を晒す事に優越感を感じ、嬉々とした表情で、僕の性器を色んな角度から観察し、カメラにおさめてゆくのでした。

この頃には、彼らが始めろと言わなくても、僕はオナニーを始める事を覚えていました。
知らず知らずのうちに、彼らのペースを覚えてしまっていました。
これも、彼らに言わせれば「しつけ」なのでしょう。
彼らが性器の観察を終え、一呼吸おいたところで、僕は性器に手を伸ばし、オナニーの開始です。
肛門に刺さったままのペンの違和感を感じながら、ペニスを触っていると、徐々に血液が流れ込んでいく感覚と共に勃起が始まります。
彼らは写真を撮る事を忘れません。
1分も経たない内に、僕のペニスは完全に勃起し、その過程を連続写真のように撮影しています。
勃起したところで、彼らの平常時ほどの大きさにしかなりませんが・・・
僕は硬くなったペニスをしごき続けます。
そのうち、彼らは何かに気付いたようです。
この頃には、ペニスをしごいている最中に、たまにクッという感じで快感を感じる事があったのですが、
その時に肛門のペンがぴくっと動くらしいのです。
彼らはそれが面白いらしく、肛門とペニスが同時に写るアングルで何枚か撮影していました。
「何か出てるぞ!」
突然彼らの一人が言いました。
見てみると、ペニスの先から何か透明なものが出ています。
僕は、知らない内に射精したのかと思ったのですが、どうも違うようです。
後から知ったのですが、それはいわゆるカウパー氏腺液というもので、
性的な快感を感じた時に射精の前段階として出るものだったのです。
そうとは知らない僕は、自分の性器からおしっことは違う粘り気のある液体が出てきた事に驚いてしまい、
急に素に戻ってしまったのです。
手を動かし、しごき続けるのですが、ペニスはどんどん縮んでゆき、ついに元の包茎短小の情けない大きさに戻ってしまいました。
当然彼らは怒ったのですが、彼らはこそこそと内緒話をすると、浣腸のお仕置きは許してやるが、別のお仕置きをする、今日は帰れと言われました。
僕は訳がわからず、ぼーっとしてしまったのですが、
彼らはそんな僕を残してそそくさと帰ってゆきました。
そして、僕はそのお仕置きの辛さを次の日知る事になりました。

次の朝、学校に着き教室に向かうと、中から騒ぐ声や女子のキャーキャー叫ぶ声が聞こえました。
何事かと思い教室に入ると、ほとんどの生徒が教室の後ろの黒板の前に集まっていました。
気のせいかも知れませんが、僕が入った瞬間、ほんの一瞬だけ教室が静かになったようなきがしました。
僕は、そこに何があるのか見に行きました。
一目見て、頭をガーンと殴られたような衝撃を受け、その場に立ち尽くしてしまいました。
黒板には、前日彼らに撮影された写真が、ご丁寧に順に番号までつけて貼り出されていたのです。
彼らなりの優しさなのか、顔はマジックで黒く塗り潰してはあるものの、
それ以外は全て隠される事なく、皆の目に晒されていました。
真っ赤になったお尻と、その真ん中に写る肛門と突き刺さったボールペン、
「仰向け」になり、手は腹の上に置いたままの無防備な小さいペニス、
そして、しごくにつれて徐々に大きくなり、
完全に勃起しているにも関わらず、まだ半分ほど亀頭が隠れ情けない様子。
最後は、尿道から透明な液が滲み、亀頭を濡らしているアップ写真。
これだけ生々しく同級生の性器やその変化の様子を見た生徒はいないでしょう。口々に「汚い」だの「小さい」だの悪口を言いながらも、多くの生徒はまじまじとその写真を見ています。噂を聞きつけ、他のクラスから見に来た生徒もいました。
僕はというと、まるで全く自分には関係のない事のように、素知らぬふりをしていました。
しかし、僕が彼らにいじめられている事は、既に周知の事実であり、
クラスの誰もがその写真に写っているのが僕である事は分かっていたと思います。
そのうちチャイムがなり、担任が教室に来る時間になりました。
遠巻きに見ていた当の張本人の彼らは、普段全く使われる事のない、移動式の黒板をそのまま黒板の前におき、
何食わぬ顔で席に着きました。
僕は、写真を剥がすタイミングすら逃してしまいました。
結局、写真はそれから何日も貼り出されたままで、
僕の性器は皆の笑いものになっていました。
女子は興味本位、男子は自分のものより劣るそれを見て優越感にひたっているようでした。
僕が席に着いた時、彼らが僕の方を見てニヤッと笑った嬉しそうな顔を、
僕は今でもよく覚えています。

写真の一件で僕はいろんな事を知りました。
僕の性器は同級生の誰もが笑ってしまうほど情けない代物であるという事。
そして、そんな性器の性的な変化の過程という、誰にも見られたくない姿を多くの人に晒すという強烈ないじめを目の当たりにしても、
ほとんどの生徒は大笑いし、蔑みさえすれ、決して同情や制止などしないという事実。
その彼らに理解できるでしょうか。
思春期を迎え、ただでさえ見られたくない性器やその変化の様子を同級生に晒され、
その姿を皆に笑われるという辛さを。
僕をいじめる彼らと、それを見て喜ぶ同級生も、
結局は優越感に浸りたいのだと思います。
一番強く思ったのは、僕をいじめる彼らへの恐怖感でした。
彼らは、常識では考えられないようなひどい事でも平気でできる。
これから先、僕は何をされるのか、
もっとひどいいじめが待ち受けている事は確実でした。

はじめての浣腸の時もそうでしたが、いじめの中でもとりわけひどいいじめが行われた時は、
彼らの満足感が大きいせいか、しばらく呼び出される事はありません。
今回も同様で、皆が写真に飽きて忘れ去られた頃、久しぶりの呼び出しがありました。
こう書くと、まるで呼び出しを待ち侘びていたかのように思われるかもしれませんが、
以前にも書いたように、僕は決して苦痛や恥ずかしい事が好きな訳ではありません。
ただ、自分の身体、特に性器や肛門など、人目に晒すべきではない部位に対して、
激しい嫌悪感と劣等感を感じていました。
授業中に勃起してしまう事も度々あり、意思に反して変化する身体の変化は、
ますます自分の身体に対する嫌悪感を強くしていきました。
変態な自分へのお仕置きと称して、自分で性器や肛門に苦痛を与える事も何度もありました。
ペニスを糸でグルグルに縛り登校した時は、きつく縛り過ぎた為、おしっこを出す事も困難で、
勃起した時は糸が食い込み、壊死してしまうのではないかと思ったほどですし、
肛門に異物を挿入し、そのまま授業を受け帰宅した事も1度や2度ではありません。
しかし、戒めのつもりでも、結局は自分で行った事なので、戒めという感覚も薄く、変態的な行為をしてしまったという後悔の念の方が強かったように思います。
いじめられる事は嫌だという思いと裏腹に、誰か他人から強制的に苦痛を与えられ、それを罰やお仕置き、しつけとして受け入れる事を望んでいたのかもしれません。
その時はそこまで深く考えてはいませんでしたが、
複雑な思いで呼び出しを受けました。

放課後、部室に来いという事でしたが、
カメラを買って持ってくるように言われました。
やはり、また僕の恥ずかしい姿を写真に納めるようです。
僕は、逆らう事なく、放課後カメラを買い、部室に向かいました。
部室に入るといつもの面々が揃っており、例のごとく全裸になるように言われました。
しかし、僕は少し抵抗感がありました。
なんと部室に着く間に、既に勃起してしまっていたのです。
だからと言って、彼らが許してくれる訳もなく、
彼らの嘲笑を覚悟して制服のズボンを下ろしました。
ブリーフを脱ぐ前に、彼らは僕のペニスのいつもと違う様子をすぐに発見し、
「いじめられる事がわかっているのに勃起すのは変態だからだ」というような罵声を浴びせかけました。
彼らが注視する中、僕がブリーフをずらすと、弾けるように勃起したペニスがでてきました。
既にかなり硬くなって反りたってしまっており、
彼らはおもしろがって、直立させた僕を前から横からと撮影していました。
そして、仰向けの命令です。
彼らが笑いながら囲む中、僕はまるで見て下さいと言わんばかりに太股を開くいつもの体勢になります。
なぜかわかりませんが、ペニスはギンギンに勃起したままで、
少し頭を起こすとへそに置いた手の向こうに、心臓の鼓動に合わせてピクピクと揺れるペニスが見えました。
いつもとは明らかに違う感覚でした。

撮影も終わり、オナニーを始めます。
既に硬くなっているペニスは、とても熱くいつもより大きい気がしました。
彼らはしごく様子も撮影しているのですが、やはりいつもと違う僕の様子には気付いているようです。
5分ほどしごいた頃、彼らがまたペニスの先から液体が出ている事に気付き、はやし立てました。
僕は断続的にやってくる快感の為に、はぁはぁと喘いでしまっていました。
とても恥ずかしいのですが、抑える事ができないのです。
それからすぐの事でした。
グーッとペニスに何かが集まってくるような感覚と共にむず痒い心地よさを感じました。
次の瞬間、その集まってきた何かがドバッと弾け、心臓の鼓動のような脈動と同時に、
今まで感じた事のない強烈な快感を覚えました。
脈動に合わせて、どくどくと熱いものが溢れ出る感覚があり、
自分が射精したという事はわかるのですが、しばらく快感に浸ってしまいました。
徐々に脈動が弱くなり、我に返った時、彼らは相変わらず嬉々とした様子で撮影をしていました。
フィルムがなくなったのか、彼らはすくっと立ち上がり、「きれいにしておけよ」とだけ言い残し帰っていきました。
僕は、快感の余韻と射精の達成感でしばらく呆然としていましたが、
ようやく起き上がり股間を見ました。
太股や手はベトベト、下腹部から床にまで精液が飛び散っており、
辺り一帯に生臭い匂いが漂っていました。
自分が初めて出した精液をよく見てみると、真っ白いものだと思っていた精液はうっすら黄ばんでおり、
想像以上に粘りが強く、液体というよりはヨーグルト状のものでした。
掃除をしようと周りを見ると、触るのも抵抗があるほど汚い雑巾があるだけでした。
僕は仕方なくそれで掃除を始めましたが、
初めての射精の様子を同級生に見られ、その片づけを汚い雑巾をしているという事で、とても悲しく空しい思いになりました。

翌朝、登校し教室に着くと、案の定生徒は後ろの黒板に群がっていました。
また彼らが写真を貼り出していました。
予想していたので、前回ほどの驚きはなく、僕はふらふらとその黒板に近付きその写真を見ました。
今回は顔が写るようなアングルはなかったのですが、
内容はかなり異常なものでした。
性器は相変わらず全く隠されておらず、以前と同じように晒されているのですが、
ペニスは大きく勃起し、誰が見ても一目で「性的に興奮している」という事がわかる状態でした。
直立し横から撮られた写真には、小さいながらも勃起し、斜め上を指すように反るペニスが写っていました。
仰向けの写真では、更に大きくなったペニスが大写しになり、それをしごく様子。
そして、次の写真には亀頭の先の尿道口からペニス、指をつたい、うっすら黒く生えた陰毛に絡みつくような精液が写っていました。
以前と同様、全ての写真には通し番号が振ってあるのですが、
その写真には「精通の瞬間!」と注釈まで添えてありました。
祝うべき成長の瞬間も、彼らにしてみたら、ただの嘲笑のネタに過ぎません。
黄ばんでいて、真っ白とは言えない精液の色は、やはり彼らにも妙な色と映ったらしく、汚いとか気持ち悪いという罵声があがりました。
多分、写真を見ているほとんど全員が、写真に写っているのが僕だという事はわかっていたと思います。
しかし、彼らは、その僕がすぐそばにいるにも関わらず、口々に罵り嘲るのです。
短小包茎である事、陰毛がほとんど無い事、そして、人前で射精している事、
写真を見た感想というよりは、直接僕に対して言っているようでした。
かく言う僕はと言うと、信じられない事に、皆からお仕置きを受けているような錯覚を覚えて、なんと勃起してしまっていました。

写真が貼り出された日、また僕は呼び出しを受けました。
今日はないだろうと思っていたので意外に感じました。
いつもの部室に呼び出されたのですが、何となく彼らの感じが違っていました。
彼らもそうですが、僕の中でも何か変化があったような気がします。
彼らにしてみたら、自分達が射精させてやったという満足感なのでしょう。
僕は僕で、彼らに初めての射精の瞬間まで見られ、これ以上の痴態はないという姿を晒した事で、
彼らには絶対にかなわないという事を再確認したのです。
今までもあった主従のような関係が、今回の件で完全に確立してしまいました。
部室に入ると、彼らは僕を立たせたまま、囲むように座りました。
そして、今朝の写真の貼り出しについて色々僕に聞くのです。
射精は気持ちよかったか、勃起した性器や精液を見られてどんな気持ちだったか、
気持ち悪いと言われてどう思ったか等々。
僕は、いつのまにか敬語になり、気持ちよかったですとか恥ずかしかったですとか、彼らの望むような答えを返していました。
なぜか正直に答えなければいけないという気持ちになり、
ついには、教室でクラスの生徒に見られながら勃起してしまった事も話してしまいました。
彼らは本物の変態だと罵りながら、ゲラゲラ笑い転げていました。

この辺りから、彼らが僕に求める事が変わってきたように思います。
なにかにつけて「しつけ」だとか「お仕置き」だと言って恥ずかしい事を言わせたり、させたりするのです。
それも、あらかじめ決め事を作っておいて、彼らの合図があると自発的にそうしなければいけないというものでした。
「仰向け」と同じような、僕にだけわかる決まり事がどんどん増えていきました。
犬にお手やおかわりを教えていく感じで、情けないのに逆らえませんでした。

彼らは、僕に一通り質問をし笑いが収まると、いつものように「仰向け」になるように言いました。
自分で言うのも変ですが、この「しつけ」はもう済んでいるので、
彼らに言われるまでもなく、僕は全裸になり彼らに股間を向け大きく脚を開いて見せます。
彼らは従順な僕を見て喜んだのですが、ここから新たなしつけがはじまりました。
仰向けの体勢になったら必ず「オナニーの準備ができました」と言う事という指示でした。
僕は逆らう事なく、彼らに性器を見られながらその台詞を言いました。
彼らは僕が言いなりになるのがとても嬉しいようで、彼らはまた大笑いするのでした。
この時、僕は自分の台詞のいやらしさに反応にて、性器の勃起が始まるのを感じていました。

僕は、彼らが見つめる中、まだ触れてもいない性器を勃起させてしまいました。
僕の身体の反応を見て、彼らは笑いながらオナニーを始めるように言いました。
股間に手を伸ばすと、既に硬く熱くなったペニスを握り、ゆっくり上下に動かし始めました。
精通とはよく言ったもので、一度開通した精液の通り道は容易に開くようです。
しごき始めてすぐに軽い快感がはしり、何分もしないうちに射精してしまいそうな自覚がありました。
僕の息が荒い事に気付いた彼らは、すぐに僕が射精してしまう事を悟ったのでしょう。
射精する瞬間に「包茎チ○ポから精子を出すのでよく見ていて下さい」と言う事を命令されました。
僕はその台詞を頭で繰り返しながら、ペニスをしごき続けました。
そして、その瞬間がやってきました。
前日のような、何かが性器に集まるような感覚。
射精すると思った瞬間、僕はその台詞を言おうとしました。
しかし既に大きな快感に飲まれ、台詞が出てこないのです。
ドクンドクンという心臓の鼓動のような快感な波が徐々に弱まり、最後にトクンという感じで射精が終わりました。
ふと我に返ると、先ほどとはうって変わったような怒りの形相に囲まれていました。
厳しいお仕置きが決定した瞬間でした。

彼らは本気で怒っているらしく、にこりともせずに「しつけが甘かったな。」と言いました。
普段、殴られる事などないのですが、この時ばかりは殴られる事を覚悟しました。
しかし、彼らは僕が思っていたよりも冷静でした。
快感の余韻と彼らに対する恐怖が入り混じり、茫然自失の僕に彼らが言いました。
「言う事があるだろ?」
僕は、必死で彼らが求める返事を考えました。
僕 :「勝手に精液を出してすみませんでした。」
彼ら:「しつけが守れないとどうなるんだった?」
僕 :「おしおきされます。」
彼ら:「おしおきされたいか?」
されたい訳はあるはずもないのですが、彼らの望む返事をするしかありません。
僕 :「おしおきして欲しいです。」
彼ら:「おしおきは何がいい?」
咄嗟に思いついたものは、一番印象深く、辛い事でしたが、他に考える余裕もなく答えてしまいました。
僕 :「浣腸のおしおきをして下さい。」

大きく股間を開いた姿勢のまま、手や性器の周りは精液にまみれたままという情けない姿で、自ら浣腸のおしおきをして下さいと頼む僕の姿に、
彼らの怒りはおさまり、更に、優越感をも満たしたようでした。

手や性器、太股、床についた精液をティッシュで拭き取り、すぐにおしおきの準備をさせられました。
Tシャツと制服のカッターシャツを着るように言われたのですが、
下半身はパンツすら履く事は許されませんでした。
体育館の裏の水道で浣腸される事になりましたが、
そこまで下半身には何もつけず、手で隠したり走ったりしてはいけないという事でした。
部室から体育館裏までは100mほどあるのですが、ほとんど人は通りません。
しかし、下半身を丸出しにして歩くには、あまりに明るく、とても長い距離に感じられました。
しかも、その先で待っているものは、浣腸という恥ずかしく辛いおしおきです。
ついつい足取りが重くなる僕を、彼らは小突くように連れて行きました。
幸い、そこにいく途中も体育館裏にも、誰もいませんでした。
水道の前に着くと、彼らは上着も全て脱ぐように言いました。
また全裸になった僕に、彼らはまた命令します。
自分で蛇口を肛門に挿入し、栓も自分で開いて、どのぐらい反省しているのか示せと言うのです。
自分で調節できるにもかかわらず、手加減する事はできないという状況に追い込まれてしまいました。
蛇口を上に向け水道を跨ぐと、僕は肛門に蛇口を当て、ゆっくり腰を下ろしていきました。
蛇口の先が肛門に入る瞬間、少し痛みがありましたが、後はずぶっと数cm入りました。
蛇口の曲がった辺りまで挿入したので、5cmほどは入っていたと思います。
彼らは、僕がどのぐらい栓を回すのか見ています。
僕は思い切って1周ほど栓をひねりました。
肛門というよりは、直腸の奥の方にどどっと水流が当たる感覚がありました。
脊髄を通して、耳鳴りのようにしゅーっという音が聞こえ、
お腹が冷たい水で膨らんでいくのを感じました。

彼らの一人が、栓から手を離すように言うので、僕は水道の柱に手をついて身体を支えるしかありません。
この時の僕は、お腹が膨らむ感覚があり、かなりの量の水が入っている事はわかるのですが、
それほど苦しさはありませんでした。
どうも、水の勢いが強く、腸のかなり奥の方まで一気に流れ込んだ為、
まだ便意を感じるまでに至っていなかったのです。
20秒近く経って、感覚ではなく、明らかに見た目でお腹の膨らみがわかるようになり、
肛門の近くまで水が出そうになってきました。
同時に、噴出してしまいそうな感覚になった僕は、慌てて栓をひねり水を止めました。
僕は、漏らしてしまわないように、肛門に力を入れながら、ゆっくり蛇口を抜きました。
彼らは一切手を出さず、僕が自分で浣腸している様子を見ていました。
正直、僕は少し我慢すればいいだけだと思っていたのですが、
その甘い考えは脆くも崩れ去りました。
彼らは、全裸のままの僕に、体育館のすぐ脇のコンクリートの床を指差し、
まるで犬にお手と言うように「仰向け」と命令したのです。

彼らの言う「仰向け」は、もちろんただの仰向けではありません。
しかし、もう彼らの機嫌を損ねる訳にはいきません。
僕は、よろよろと床に横たわりました。
しかしここからが大変でした。
いつもと違い、僕のお腹には浣腸によって膨らむほど大量の水が入っているのです。
お腹に力を入れると、今にも漏らしてしまいそうでしたが、
必死で「仰向け」の体勢になります。
壁に頭だけもたれるようにし、
股間が彼らによく見えるように、大きく股を開きました。
僕自身驚くほど、お腹が膨らんでいる様子が見えました。
そして、忘れてはならない台詞です。
「オナニーの準備ができました。」
彼らは、浣腸の苦痛に耐えながらも、しつけた通りに従う僕をみて笑います。
しかし、僕は既にお腹の激痛と激しい便意に襲われ、その体勢でいることさえ辛いのです。
はっきりとはわかりませんが、お腹の膨らみからすると、たぶん1リットル以上、ひょっとすると2リットル以上もの水を浣腸しているのです。
成長も遅く、クラスでもかなり小柄な中学生の腸内にそれだけの水が入っているのです。
ペニスは数cmに縮こまり、自分でも肛門がひくひく痙攣しているのがわかります。
もちろん、彼らの目にもその様子は明らかで、
僕が苦しむ様子が面白くてたまらないといった様子でした。

彼らは、何の容赦もなく僕にオナニーを始めるように言いました。
しつけのせいなのか、どんなに苦しくても痛くても、彼らの命令には従わなければいけないという強迫観念のようなものを植え付けられている僕は、
浣腸の苦痛を感じながらも、ペニスをゆっくりしごき始めました。
あまりに大量の浣腸のせいで、普通の呼吸ができず、はっはっと浅い呼吸になってしまうのですが、
彼らは、僕が快感を感じ興奮していると勘違いしているようで、
変態だとかもう射精するかもとはやし立てますが、
僕にとってはもはやお仕置きどころではなく、拷問を受けているかのような苦痛でした。

それでも、お腹の水が体温で温まり、冷たさを感じなくなると、
それと同時に、お腹の痛みは少し薄らいでいきました。
少し余裕が出てくると、変態とは情けないもので、
少しずつですが、ペニスが勃起しはじめたのです。
彼らの嘲笑が聞こえますが、手を止める事は許されません。
初めての体験でした。
身体に感じるのは苦痛以外の何物でもないのに、
その中で僕はギンギンに勃起してしまいました。
何度も書きますが、僕は決して苦痛が好きな訳ではなく、
苦痛を快感に昇華できるという事でもありません。
ただ、自分の意思に反して苦痛を与えられた時に、
変態である自分に対する戒めや罰としてそれを受け入れているという事なのです。
それが他人の手であれ、自分の手であれ、苦痛を感じる事で癒され、安心するという感覚なのです。

自分が死んだ後天国に行けるようにと、現世で自らに苦行を課す宗教家のようなものなのです。
それでも、過激な苦痛を与えられている間は悶えるしかありません。
そして、その過激な苦痛がほんの少し弱まった瞬間に感じた安らぎが、
僕の場合、性的な興奮として現れてしまうのです。

完全に勃起したペニスをしごくうちに、苦痛と快感のバランスが逆転し、
僕はペニスをしごく事に夢中になっていました。
彼らの内の一人が聞きました。
「うんこと精子とどっちが出したい?」
僕はすかさず、
「両方出したいです。」と答えました。
オナニーに意識は傾きつつも、やはり大量浣腸の便意は強烈で、忘れる事はできませんし、
忘れてしまって肛門の力を抜けば、すぐにで漏らしてしまいそうで、それが正直な僕の状態でした。
しかし彼らの返事は冷たいもので、必ず漏らす前に射精しろという事でした。
そう言われると、どうしてもうんちの方に気がいってしまい、
僕は彼らに「うんちを出させて下さい。」と繰り返し懇願してしまっていました。
同級生に排便の許可を求めるという無様な姿に、彼らは満足そうでしたが、
決して許してはくれません。
もう僕はオナニーに没頭するしかありません。

徐々に射精の感覚が近づいてきました。
僕は、さっき言えずにお仕置きとなってしまったという台詞を思い出していました。
そして、ついにその時が訪れました。
ペニスに何かが集まってくる感覚と同時に、
勢い余って、10m四方に聞こえるような声で言いました。
「僕の包茎チ○ポから精子が出ます。よく見て下さい!」
言い終わったと同時に、ペニスの脈動が始まり、
自分でも驚くほどの勢いで精液が吹き出ました。
1mほど飛んだと思います。
快感の脈動と共に、ペニスの先からどくっどくっと噴出す精液がよく見えます。
快感を少しでも長引かせようと、射精しながらもしごき続けました。
今までで一番長い射精が終わりました。
彼らの言うとおりの台詞も言えました。
しかし、射精が終わって彼らの顔を見ると、どう見ても手放しで喜んでいるという感じではありませんでした。
その訳は、少しすると解りました。
射精の瞬間、ペニスの脈動と同時に肛門も収縮し、
ほんの少しでしたが、うんちも漏らしてしまっていたのです。
射精の時は、必ずペニスと共に肛門括約筋も収縮するのが普通で、
避けられない事ではあるのですが、
彼らにしてみたら、やはり言いつけを守れなかったという事に他なりません。
それでも、僕が彼らのいいつけを守ろうとした事は認めてもらえたようで、
更に怒るということはありませんでした。
しかししつけはしつけという事で、
まだ排便の許可はもらえません。

浣腸してから、既に30分以上経ったでしょうか。
水が腸になじんで、過激な便意というほどではありませんが、
それでも、重い感じと、たまにくる便意の波はかなり辛いものでした。
ここまできてなお、僕は排便を許してもらえず、
そのまま上着を着るように言われました。
立ち上がると、更に便意は強くなりましたが、
なんとか上着を着ると、そのまままた部室に連れて行かれました。
そして、排便を許されないま、パンツとズボンを履くように言うのです。
なんと、彼らはこのまま家まで帰らせるつもりでした。
家までは歩いて20分以上あります。
どう考えても家までもつ自信はなく、彼らに必死で許しを請いました。
実は、これがうんちを漏らした事への彼らのお仕置きのつもりだったようです。
しかし、僕の必死の懇願のおかげか、それとも違う何かを思いついたのか、
僕に選択権をくれました。
このまま帰ってお仕置きを終わりにするか、または後日、別のお仕置きを受けるかというものでした。
僕は、別のお仕置きを選択するしかありませんでした。
晴れて排便の許可をもらったのですが、ただ許されたわけではなく、
また体育館裏に連れて行かれて、犬のように片足を上げた姿勢で排便させられました。
後日のお仕置きというおまけつきで。

数日後、彼らの呼び出しがありました。
いつものように、彼らに連れられ部室に向かいます。
「今日はお仕置きの日だから、まさか俺たちに逆らうような事はないよな?」
いつになく、わざわざ確認するぐらいですから、
よほどきついお仕置きをおもいついたのでしょう。
それでも、僕に嫌だと言う勇気はなく「はい」と答える以外にありませんでした。
「俺たちに恥をかかすなよ。」
意外な言葉でした。
恥ずかしい事をしたりされたりするのは僕です。
僕が恥をかく事はあっても、彼らが恥をかくなんて事はありません。
この時、僕はまだその言葉の意味がわかりませんでしたが、
部室に着いて扉を開けた瞬間に全てを悟りました。
そこには、クラスは違いますが、学年でも有名な不良と呼ばれる女の子が2人いたのです。
僕が通っていた中学校は、当時かなり荒れていたのですが、その2,3年前は更にひどく、
その卒業生がたまに授業中にバイクで乗り込んできたりするのですが、
彼女たちはその先輩達に可愛がられている事をいい事に、教師すらも呼び捨てで声を掛けるような連中でした。
僕が部室に入ると、先にいて待っていた男子生徒が「来た来た」と嬉しそうな顔をしました。
彼らは彼女におもしろいものを見せるとでも言っていたのでしょう。
彼女たちも何が始まるのか楽しみで仕方がないといった様子でした。
男子の一人が、彼女に耳打ちをしました。
彼女が言いました。
「はい、じゃあ『仰向け』。」
彼らは僕に例の恥ずかしい姿を彼女達に見せようというのです。
彼女達は仰向けはただの仰向けだと思っているでしょうが、それを彼らは面白がって笑い転げています。

さすがに、女子の前での「仰向け」に抵抗感があり、すぐにはできないでいましたが、
彼らは僕の耳元で、お仕置きをできなければ・・・と脅すのです。
結局、しなければこの場を脱することはできないと悟った僕は、上着のボタンに手を掛け、Tシャツ、ズボン、靴下と脱いでいき、
ついにパンツも脱いでしまったのです。
訳がわからないといった様子の彼女たちに、彼らは「まぁ、おもしろいから見とけ」と言うと、
彼女達は、最初こそキャーキャー言っていましたが、そのうち目を伏せる事もなく見つめていました。
僕は、股間を押さえながら彼女達に脚を向け、脚を閉じたままの状態で仰向けになり、
股間の手をどけると同時に太股を大きく開きました。
もう性器も肛門も彼女達には丸見えでしょう。
僕は手をへその上で組み、「仰向け」の体勢ができあがると、
頭を持ち上げて彼女達に向かって言いました。
「オナニーの準備ができました。よく見てください。」
黙って見ていた彼女達も大声で笑い出しました。
しきりに変態だとかきもちわるいと罵声を浴びせられました。
男子の一人が始めるよう言いました。
僕は、手を股間に持っていき、ペニスをしごき始めました。

彼女達も、男子のオナニーなんて見た事はないと思います。
僕は彼女達の性教育の道具になってしまったようでした。
皮を被り、縮んだペニスが、しごく事で徐々に硬く大きくなり、皮が剥けていきます。
亀頭が完全に露出した頃、僕は女子に見られていることも忘れて、快感を感じ始めていました。
その時、なんと彼女の一人が僕のペニスに触りたいと言い出したのです。
僕がペニスから手を離すと、彼女はおそるおそるペニスに触れると、いきなりぎゅっと握ったのです。
思わず、うっと声を出してしまいましたが、
それは痛みからではなく、むしろ快感からのものでした。
彼女は「熱くなってる」とか「硬い」と言いながら、
僕の真似をしてペニスをしごきます。
しかし快感を感じたのは最初だけでした。
彼女は亀頭までもこするのです。
普段、包茎の僕は、亀頭への刺激はかなりの痛みを感じさせました。
彼女がしごくうちに、徐々にペニスが縮んでしまったのです。

彼女は手をはなし、僕に自分でするように言いました。
自分で縮んだペニスをしごき始めると、また徐々に硬くなっていくのを感じました。
いつものむず痒いような感覚を覚え、射精が近い事がわかりました。
そして、その瞬間がやってきました。
「チ○ポから精子が出ます。見てください!」
前回の射精から日が経っていたせいか、濃いドロドロとした精液が、ドクッと溢れ出す感じでした。
ドクッドクッという脈動に合わせて、かなりの量が出た気がしました。
股間のすぐそばにいた女子が、キャッと飛び退きました。
うっすら伸びた陰毛や手に絡みつくような、濃い精液でした。
彼女達は汚いなどと言いながらも、珍しいものを見ることができてうれしそうでしたが、
僕は異性に射精の瞬間を見られるという羞恥の極地と快感のせいで
まだぼーっとしていました。

僕が起き上がって、手に付いた精液を拭き取ろうとすると、
彼らは、第二ラウンドだと言って続けてオナニーをするように言いました。
僕が射精した瞬間の女の子達の反応が面白かったらしく、
もう一度その様子が見たいからという事でした。
僕はまた仰向けになり、ベトベトになったままの手でペニスをしごき始めました。
しごくといっても、射精したばかりのペニスは、力が抜けたようにやわらかくなってしまっていました。
彼らは、仰向けになった僕の足の方に集まり、僕の様子を眺めながら、
今まで僕にさせた事を、彼女達に自慢げに話していました。
彼女達も、教室に貼り出された僕の写真を見た事があるらしく、
情けない格好でオナニーを続ける僕を嘲るような目でチラチラ見ながら、彼らと楽しそうに話をしています。
その時、彼女達の一人が思い出したかのように言いました。
「あのボールペンって、本当にお尻に入ってたの?」
彼女達にしてみれば、そんなところにそんなものが根元まで入るという事が、何かのトリック撮影のように見えたのでしょう。
彼らは、僕に自分で肛門にボールペンを挿入して、その様子を彼女達に見せるように言いました。

僕は仰向けのまま、脇にあったカバンの中からペンケースを取り出し、前に使ったものと同じ形のボールペンを出しました。
肛門の中でキャップが取れてしまうと怖いので、キャップを外しました。
そして、そのままの体勢では角度的に無理があるので、
右手でペンを持つと、左手で左足を抱きかかえ、蛙のような格好になりました。
そして、ペンの先端を肛門に当て、ぐっと力を込めました。
ペンに付着した精液が潤滑剤のようになって、意外に簡単に入っていきました。
蛙のような体勢になった為に、肛門が開きやすくなっていたのかもしれません。
ボールペンの半分位は一気に入ったと思います。
そこからは、ゆっくり角度を考えながら押し込んでいきます。
彼女達の様子は見えませんが、うわっとかすごいという声が聞こえました。
腸の奥でチクッとした痛みがありましたが、そのまま押し込み、ボールペンの端だけを残し、全て挿入しました。
しかし彼らは、この程度の事で満足してはくれませんでした。
僕が抱きかかえていた脚を放し、元の仰向けの体勢になると、そのままオナニーを続けるようにいいました。
肛門に違和感を覚えながら、僕はペニスを握りました。
射精してから、少し時間が経ったせいか、少しづつ勃起していくのを感じました。
しかし、ここでまた彼らの命令が追加されました。
5分以内に射精できなければ、お仕置きをするというのです。
彼らの言う事は、とても理不尽な事なのですが、僕は従うしかありません。
オナニーに集中して、必死に手を動かしました。
しかし、時間の制約がプレッシャーになり、
完全に勃起はするものの、なかなか射精には至りません。
時間はどんどん過ぎてゆき、ラスト30秒から彼らのカウントダウンが始まりました。
こうなるともう射精どころではなく、なんとなくペニスも柔らかくなってしまっていました。
彼らは最初からそのつもりだったのかもしれませんが、
結局、また僕はお仕置きを受ける事になってしまいました。

仰向けの僕をそのままに、彼らはお仕置きは何がいいかという事を話し始めました。
判決を待つ被告人のような気分でした。
やはり、浣腸の話しになったようですが、彼女達の一人が「カンチョーって?」
と言いました。
彼らが、水道を使って行う浣腸について彼女に話すと、
どうも彼女の知っている浣腸とは違うという話でした。
何かホースのようなものを使うという話しなのですが、彼女自身は経験はないが、家に浣腸用の器具があるらしいのです。
多分今はもう使っていないから、次回待ってきてそれを使おうという事になりました。
この道具は、彼らにとっては格好の遊び道具でしたが、
僕にとっては悪魔の拷問器具のような存在になりました。

ただの呼び出しではなく、お仕置きを宣告されている時は、やはり不安や恐怖を覚えます。
ましてや、それが僕の苦手な浣腸である事もわかっているのですから、
その感情は一層です。
しかし、その呼び出しはなかなかありませんでした。
前回、時間内に射精できなかった罰として、お仕置きまで陰毛を伸ばしてはいけないと言われており、
風呂場で陰毛を剃るのが日課になっていました。
油断して、突然呼び出しを受けた時に陰毛が伸びていると、また彼らを怒らせてしまう事は間違いありません。
翌日の呼び出しに怯えながら、自分で陰毛を剃る日々が続きました。
陰毛が生え始めてから、無理やり抜かれたり剃ったりで、生え揃った事が一度も無く、
自分の第二次性徴の進度すら知りませんでした。
毎晩、陰毛を剃るうちに、自分の惨めさや情けなさを考えてしまうようになっていきました。
変態であるという精神的なものもありますが、やはり彼らと明らかに違い、成長の遅い性器の情けなさを痛感していました。
彼らの成熟した性器に比べ、相変わらず6、7センチほどしかないペニス、
成長すれば勝手に治ると思っていた包茎も、そのまま剥ける気配もなく、挙句に全く陰毛がない状態です。
そこだけを見れば、高学年の小学生にすら劣っているかもしれません。
そんな事を考えているうちに、とても悲しい気持ちになってしまうのですが、
ある日、さらに自分の変態性に気付かされてしまいました。

なんと、そんな悲しい気持ちになっているにも関わらず、ペニスを勃起させてしまっていたのです。
確かに、陰毛を剃る際にペニスを触るので、その刺激もあるのでしょうが、
勃起するのは、自分の情けなさを実感した時だけなのです。
自分の意思と裏腹に、堅く大きく反応してしまうペニスが、まるで自分のものではないような感覚とともに、
僕は無意識にペニスをしごいてしまっていました。
しごく前から完全に勃起してしまっており、
しごき始めてすぐに快感を感じてしまっていましたが、
はっとそこで我に返るのです。
僕は彼らの前意外で射精してはいけないのです。
若い男子が、オナニーをして射精する事はごく普通の事なのですが、
僕にはそんな当たり前の自由すらなく、彼らによって射精はおろか、夢精すら彼らに報告し、お仕置きを受けなければいけないきまりでした。
いわば、僕の射精は彼らによって管理されていたのです。
事実、精通からその時まで何回となく射精しましたが、必ず彼らに囲まれ、見られながら、そして嘲笑の中での射精でした。
その事もあって、実際にはバレないのでしょうが、彼らのいない場所では射精してはいけないという気持ちはごく自然に生まれました。
陰毛を剃っている最中にペニスを勃起させ、無意識にしごき、射精の手前ではっと気付き手を止める。
こんな事を何度も繰り返しました。
仕方がないのです。
射精の快感を知って、その快感が恋しいにも関わらず、夢精もなく、オナニーによる射精を禁止させられたまま、既に1ヶ月以上が経っていました。
この頃には、1日の大半の時間、僕のペニスは半分勃起したままという状態でした。
多分、身体自体が精液を排出したがっていたのだと思います。

当時の僕は、男子の身体の仕組みに関する知識はあまりなく、
性的に興奮すれば、精液が体内で多く作られ、射精を促す為に性器が敏感になるという事も知らなかったので、
自分の性器が常に興奮状態にある事も、自分が変態だからだと思っていました。
やはりお仕置きが必要なのだと思ったりもしました。
今までに無いほどの長い空白の時間に、彼らが浣腸のお仕置きを忘れたのではないかという思いもよぎりました。
しかし、習慣というか、概念というものは恐ろしいもので、
毎日の剃毛は欠かしませんし、
射精も彼らの許しがなければしないという気持ちが途切れる事はありませんでした。
彼らに言わせれば「しつけ」が身についていたという事になるのでしょう。
このまま呼び出しがなくても、僕はそのしつけを守り続けていたかもしれません。
この頃には、なんとなく睾丸が腫れぼったい感じで、少し大きくなったようでした。
そんな矢先、なんと2ヶ月近く経ったある日、彼らからの呼び出しがあったのです。

久しぶりに部室に連れていかれました。
彼らの話によると、どうも例の女子が持ってくると言っていた浣腸の為の道具を家から持ち出す事ができず、
結局、新品を探して買ってきたらしいのです。
前にいた女子はおらず、いつもの男子だけでしたが、使い方だけはその女子から教わったという事でした。
早速、その器具を見せられました。
確かに、茶色のゴムでできているホースのようなものでしたが、真ん中の辺りが大きく膨らんでいるのです。
その部分はポンプになっていて、片方を僕の肛門に挿入し、もう片方から吸い上げた液体が、逆流する事なく僕の腸内に注がれるという事で、
その説明をしている男子は楽しみで仕方がないといった様子でした。
彼らはそこまで説明すると、部室にあった掃除用のバケツに水を汲んでくるように言いました。
自分がどんな事をされるのか、もうわかっています。
僕は、自分にお仕置きとして下される浣腸に使う水を、自分で汲みにいかされました。
さすがに怖いので、満杯にして持っていくことはできませんでしたが、あまり少ないと彼らを怒らせてしまいます。
とりあえず、半分くらい入れて部室に戻ると、彼らは水の量については何も言いませんでしたが、
すぐに仰向けになって、自分で考え付く最適な挨拶をするように言いました。
最適な挨拶・・・そうです。今日はオナニーをさせられるのではなく、お仕置きの日なのです。
そして、彼らの優越感を最も満たす挨拶・・・
必死で考えながら、僕は服を脱いでいきました。
最後にブリーフを脱ぐと、彼らは急に笑い出しました。
日課になった剃毛のおかげで全く陰毛の生えていない性器を見て笑っているのです。
命令した彼ら自身は、その情けない性器を見て思い出したようでした。
そして、同時に思い出したように、射精は?と尋ねられました。
僕が「射精も夢精もしていません」と答えると、彼らはまた笑い、今日のお仕置きをきちんと受けられたら、射精の許可を与えると言いました。
挨拶も含めて、僕は彼らを満足させなければいけません。
仰向けになり、考えた台詞を言いました。

「浣腸の準備ができました。お仕置きの浣腸をよろしくお願いします。」
彼らの満足している様子が伺えました。
彼らは大きく開いた僕の脚の間に群がりましたが、
オナニーの時と違い、メインは肛門です。
体勢が不十分だったようで、僕に足を抱えお仕置きが終わるまで絶対に体勢を
崩さないように言いました。
僕が脚を抱えると、無防備な性器と肛門が彼らの眼前に曝け出されました。
久しぶりに彼らに見られているという刺激のせいで、半立ちだったペニスがむくむくと起き上がり、
まだ何もされていないのに完全に勃起させてしまいました。
射精を禁じられた僕の身体の状態を知らない彼らは、
浣腸される事で興奮する変態だとまた笑います。
しかし、僕は勃起したペニスを晒したまま彼らの笑いものになるしかありません。
肛門に何かが押し当てられ、ぐぐっと押し込まれるような感覚があり、
先が入ったと思った瞬間、ずずずっと肛門の奥まで挿入されるのがわかりました。
そして、「全部入ったら、オナニーして射精してもいい」と言われました。
僕自身が射精したい気持ち
も当然ありますが、
彼らを満足させるためにも、なんとかそこまで耐え抜こうと決心しました。
水は明らかに2リットル以上はありましたが、変態の僕に行うお仕置きにはそのぐらいきつい苦しみや痛みが必要なのだと思い始めていました。

彼らの「入れるぞ」という言葉と共に、浣腸が始まりました。
首を起こして股間の方を見ると、意思に反して反りたってしまっているペニスと、
ブリキのバケツ、そしてそこから伸びるチューブとポンプを握る姿が見えました。
彼がポンプを握りました。
冷たい水の感覚を予想していましたが、実際は違いました。
腸のかなり奥の方でポコッという感覚がありました。
彼がもう一度ポンプを握ると、またしてもポコッという感覚と共に、
腸の奥がひろがったような気がしました。
腸の奥は冷たさを感じないのかと思いましたが、すぐにそれは間違いだとわかりました。
三度目、彼がポンプを握ると同時に、冷たい水が流れ込むのがわかりました。
初めの二回はただの空気だったようでした。
持ち上げていた首を下ろし、これから確実にくる苦痛に備え覚悟し、目を閉じました。
彼らは浣腸を楽しむかのように、ゆっくりゆっくりポンプを握ります。
水道での浣腸とは違い、かなり遅いスピードで、しかも腸の奥の方から拡げられるような感覚を感じていました。
ここで僕はふとある事に気付きました。
彼は、浣腸に耐えられたら射精する事を許すと言ったのです。
これまでは、彼らの前では射精は当たり前で、
逆に言えば、彼らの前でなら射精は容易に許されるものだったのです。
しかし、この日の彼の言葉によると、射精はあくまで褒美で、苦痛に耐えるという条件をクリアしないと、その射精すら許されないという事なのです。

僕は甘かったのかも知れません。
彼らの呼び出しがあれば、必ず射精できると思っていました。
もう2ヶ月近くも射精していない身体です。
精神的なものだけではなく、身体も精液を放出したがっています。
しかし、この日を境に、僕は彼らの前ですら射精を我慢しなくてはならなくなりました。
とりあえず、その時の僕には何としてでも彼らのお仕置きを耐え抜く、
つまりバケツの水を残さず肛門から飲み干し、許しをもらうという以外に選択の余地はありませんでした。

徐々に、そんな事を考える余裕がなくなってきました。
便意はまだ耐えられる範疇ですが、お腹が膨らんできたようで、蛙のような体勢がきつくなってきました。
チューブをかなり奥まで挿入されているようで、
腸管が膨らんでいるのが自分でもわかるような気がしました。
浣腸のペースは最初とほとんど変わらず、ゆっくりと水が注入されていきます。
水道ならば、あっというまに終わり、後は腹痛と便意を耐えている時間ですが、
ポンプでの注入はそうはいきません。
もうかなり膨らみ、便意がきつくなっている腸内に、休みなく注入が続くのです。
痛みも便意も治まるどころか、強くなる一方です。

ポンプを握るのに合わせて、お腹全体に鈍い痛みを感じていました。
その時、お腹がグーッとなり、今まで空いていた隙間に水が流れ込んだようでした。
すると、今までの鈍い痛みが突然キリキリと鋭い痛みに変わりました。いわゆるさしこみというものです。
普段は彼らが機嫌を損ねるのを恐れて、口にする事はほとんどないのですが、
思わず「痛いです」と口に出してしまいました。
幸い、彼らが機嫌を損ねるという事はありませんでしたが、
許してくれる素振りも全く無く、むしろ「そうか、痛いか。」とニヤニヤしながら僕の顔と膨れたお腹を見て笑っていました。
僕は、彼らが怒らなかった事に安心して、抱えている足を放してもいいか尋ねてみました。
しかし、それはあっさり却下されてしまいました。
苦痛のせいで、脚が徐々に閉じてしまうのですが、
脚を閉じるとその重みがお腹に掛かり、尚更痛みが増す事に気付いた僕は、
苦肉の策で脚を大きく開きました。
心持ち、痛みと便意が軽くなったような気がしました。
僕はまた頭を持ち上げてみました。
本当に蛙のような情けない姿でした。
誰が見ても膨れているとわかるお腹にびっくりしましたが、
それ以上に、これほどきつい苦痛を感じているにも関わらず、膨れた下腹にくっつきそうなほど勃起したままのペニスが、
更に驚きでした。

苦痛がほんの少し治まったのも束の間、ポンプの握りと共に更に痛みも便意も強くなってきました。
できるだけお腹に力を入れないように、逆に肛門は必死で引き締める。
必死で苦痛に耐えました。
「痛いです」
「苦しいです」
「うんちがしたいです」
「お腹が破裂しそうです」
半分無意識に、うわ言のように繰り返していました。
それを聞いた彼らが、途中で許してくれる訳もなく、僕の苦しむ様子を嬉々とした表情で眺めているだけなのですが、
口にする事で少しは楽になれるような気がしました。
しかし、気の持ちようでいつまでも何とかなるはずもなく、
僕は身体の限界が近づいている事を感じ始めていました。
もうまともに話す事もできず「あぁ」とか「うぅ」といった呻き声を発していました。
もうそう長くは耐えられそうにありません。
この時僕は初めて許しを請いました。
「すみません、もううんちを漏らしてしまいそうです。すみません。許して下さい。」
しぼり出すように懇願しました。

もう射精したいなどという余裕はありませんでした。
なんとか、そこで浣腸のお仕置きを止めて欲しいという懇願でした。
彼らも、そろそろやばいと思ったのでしょう。
口々に「もう少し、もう少し。」と口々に言いました。
もう少し・・・彼らの言葉を聞き、なんとかもう少しだけ頑張ってみようと思いました。
彼らの言葉は本当だったようで、
ポンプを握っていた彼が、バケツを傾けているのが見えました。
バケツに大量に入っていた水も残り少ないようです。
彼らの「もう少し」コールは続きます。
いよいよ終わりのようです。
ずずっという音が聞こえました。
明らかに空気が混ざった音で、最後の一回だと思いました。
彼はもう一度ポンプを握りました。
お腹の中で、最初の時の様なコポッという感じがしました。
長い長い時間が終わったと思いました。
しかし、そこから信じられない事が行われたのです。
彼らは顔を見合わせニヤニヤしたまま「もう少し」コールを続けたのです。
ポンプを握っていた彼は、またポンプを握り始めました。
お腹に空気が入ってくるのがわかりました。
僕は何がなんだかわからなくなっていました。
水は全て浣腸されたはずなのに何で?
空気浣腸と彼らの「もう少し」コールが続きます。
僕は限界を超える苦痛の中で悟りました。
もうどんな苦痛に耐えても、この浣腸は終わらない。
彼らは僕が耐えている限り注入を続けるでしょう。
この事がわかった時、僕はとてつもない脱力感を感じていました。
苦痛のせいもあったのでしょうが、自然とポロポロと涙が流れてしまっていました。
「もうだめです・・・ごめんなさい・・・」
肛門を引き締めていた筋肉も緩んでしまいました。
チューブと肛門の隙間からダラダラと暖かいものが流れ出るのがわかりました。
「うわっ」という彼らの悲鳴のようなものが聞こえ、飛びのくのがわかった瞬間、
チューブを押し戻すように大量のうんちを漏らしてしまいました。
彼らが遠巻きに見つめる中、僕は蛙のような体勢のまま「ブビッ、ブビッ」という汚い音を発しながら排泄を続けていました。
涙を流し嗚咽しながらの排泄でした。

ポンプを握っていた彼の手に僕のうんちが飛んだようで、恐ろしく激怒しています。
「すみません、すみません」
繰り返し謝るのですが、怒りは一向に収まる気配は無く、
彼は僕の制服のベルトを手に持つと、鞭のように僕を叩き始めました。
蛙のような体勢のまま、僕は身体中を何十発も叩かれました。
うんちで汚れた肛門や、勃起したペニス、陰嚢にも当たりました。
飛び上がってしまうような激痛でしたが、ここで避けるともっと大変な事になりそうで、
謝りながら耐えるしかありません。
そのうち、彼の手も弱まり、部室を出ていってしまいました。
他の男子も臭いがいやなようで、きれいに掃除をしておけと言い残し部室を出ていきました。
僕はしばらくその体勢で呆けてしまっていました。
腹痛と便意はまだ残っており、そのまま排泄しました。
ようやく起き上がって周りを見ると、かなり広い範囲にわたって排泄物が飛び散っていました。
バケツを見ると、案の定、何も残っていませんでした。
やはり、バケツの水は全て浣腸されていたのです。
また涙が出てきました。
彼らのする事はいつも理不尽な事ばかりですが、僕には逆らう事はできません。
泣きながら掃除をして帰宅しました。
射精はまだまださせてもらいそうにありません。

また射精を我慢する日々が続きました。
性器は常に半分勃起したような状態で、少しでもいやらしい事を考えようものなら、すぐに完全に勃起してしまいました。
やはり、かなり敏感になっているようで、授業中や食事中ですら勃起させてしまいました。
熱く腫れぼったい感じがずっと続くので、意識せざるを得ないのです。
自分の意思通りにならない自分の身体がとてももどかしく、更に自己嫌悪に陥りました。
そして、自分が変態であることを再認識するのです。
変態である自分に、周りの生徒と同じような権利がある訳はありません。
射精は他の生徒のようなまともな生徒にだけ認められた権利であって、
僕のような変態は、その生徒が許可しない限りしてはいけないし、
射精の快感を求めるのはもってのほかのおこがましい事だと自分に言い聞かせます。
しかし、僕の性器は射精を求め、勃起してしまうのです。
お仕置きが必要なのでしょう。
学校では1日に何回か彼らと顔を合わせますが、呼び出しはありません。
自分で自分に苦痛を与え戒めるしかありませんでした。

ある事を思いついた僕は、休み時間になるとある場所へ向かいました。
それは技術の授業で使う工具などを保管している技術準備室でした。
技術準備室は、授業で製作物が送れた生徒が空き時間に利用する事がある為、
ほとんど鍵が掛けられる事もなく開放されていました。
僕が行った時も鍵があいておりましたが、そこには誰もいませんでした。
僕は工具棚の引き出しを開けました。
そこには大小様々のドライバーが入っているのです。
そしてそこから一本のドライバーを取り出しました。
それは、そこにあるドライバーの中でも取り立てて古く、またずば抜けて大きいものでした。
どんな時に使うのかはわかりませんが、長さは30センチ以上はあったと思います。
基本的に外部への持ち出しは禁止なので、僕は制服の上着の内側に隠して持ち出しました。

僕はその足でトイレに向かいました。
普段、他の生徒があまり使わないトイレです。
個室に入ると、僕はズボンを脱ぎました。
ブリーフの股間はもうパンパンに膨らんでいます。
もうと言うより、最近はほぼこんな状態で、その日に限って言えば、朝からずっと勃起しっぱなしの状態でした。ブリーフを脱ぐと、ペニスは完全に勃起しており、腹につきそうな勢いです。
僕は持ってきたドライバーとペニスを握り、ドライバーの先端を尿道口にあてがいました。
使い慣らしたドライバーなので、先の十字の部分は丸く磨り減っています。
ドライバーを持つ手に少し力を入れました。
人気のないトイレを選んだのは正解でした。
5ミリほどのドライバーの先が1センチほど入ったところで激しい激痛に襲われ、ぐうっと声を上げてしまいました。
尿道が裂けてしまったのかと思うほどの痛みでした。
「戒めなのだから耐えなければ」と思うのですが、それ以上手を進める事はできませんでした。
少し角度が変わるだけで、とてつもない痛みが尿道を襲います。
それ以上の挿入は無理だと判断した僕は、しばらくその苦痛に耐えたあと、ドライバーを尿道から抜きました。
裂けてはいませんでしたが、まだ尿道に痛みが残っています。

このままではいけないと思った僕は、今度はドライバーの先の部分を握り直しました。
そして、そのまま柄の部分を肛門に押し当てました。
太さが3センチ近くもある柄は、簡単には挿入できそうにありませんでしたが、もう途中でやめる訳にはいきません。
床にドライバーの先をつけ、その上に腰掛けるように腰を下ろしていきます。
体重が加わり、肛門がこじ開けられていき、ついに先端が肛門内に入ってきました。
やはり太過ぎるようで、尿道の時ほどではありませんが痛みがはしりました。
かまわず、徐々に体重を乗せていくと、ずずっと少しずつ木製の柄が直腸に入ってきました。
やがて10センチ以上あった柄の部分は全て直腸に飲み込まれて、先の金属の部分が出ているだけとなりました。
柄の先端が直腸の奥を押している感じがよくわかります。
僕は、人気のない事を確認して、そのままの格好で個室を出ました。
そして手洗い場の大きな鏡の前に立ちました。
上半身は制服を着ているにも関わらず、下半身は何もつけず、露になった性器は反り返るほど勃起し、陰毛は全くないという、変態にはぴったりの格好です。
少し身体を斜めにすると、不自然に肛門から突き出た鉄の棒も見えました。
鏡にお尻を向け、自分で開いてみました。
ドライバーの柄の部分が完全に肛門に埋没し、半分ほどの長さに見えました。
僕は、外に出ている鉄の棒を握り、大きく回しました。
腸内をかき回されるような、鈍い痛みがはしりました。
僕は鏡に映る肛門を見ながら、一心にその棒をまわし続けました。
痛みと排泄感に耐えながらも、もっと強烈な痛みを求めて、激しく掻き回しました。
肛門から抜き出したドライバーの柄にはべったりとうんちと血がついていました。

射精を許されないまま、ついに3ヶ月が経ちました。
彼らの「しつけ」の成果なのか、彼らに逆らってはいけないという強い感覚のせいで夢精さえもできないでいました。
この3ヶ月間、僕の精液は睾丸に溜まる一方で、ただの一滴も放出していません。
本当に辛く苦しいものでした。
彼らに馬鹿にされ笑われながらも精通を迎え、射精の快感を覚えてしまったのに、それを自分の意思通りにできない。
みなさんに想像できるでしょうか。
溜まりに溜まって、心も身体も射精を求め、それでも与えられない許し。
もう何の刺激を加えなくても常に半分勃起している状態が24時間続くのです。
何かのはずみで堅く勃起してしまうと、それだけで心臓の鼓動に合わせてピクンピクンと動くのです。
激しく擦り上げ、思いっきり射精してしまいたい気持ちには何度もなりました。
その度に、自分に言い聞かせてギリギリのところで踏み止まるのです。
射精の快感は、自分を律する事ができる人にだけ与えられた快楽で、
自分のような変態には、そんな快感を得る自由はない。
自分を律する事ができない僕の代わりに、彼らが僕の身体を律してくれているのだから、
当然、僕の射精は彼らに管理されるべきで、彼らの望まない射精は絶対にしてはいけないのだと。

結局、僕は前回の分のお仕置きとしての呼び出しを待つしかなかったのです。
しかし、今までにない長い放置のため、かなり不安な思いでいました。
彼らの言いつけ通り、射精もしていませんし、毎日の陰部の剃毛も欠かさずに続けているのですが、
彼らは、それを覚えているのでしょうか。
もし二度と呼び出しがないとすると、僕のこの生活はいつ終わるのか。
そう思っていた矢先、ついに彼らの呼び出しを受けたのです。
前回、彼らの内の一人をかなり怒らせてしまっていたので、やはりお仕置きだという事でしたが、
僕は忘れられていなかった事が嬉しく、「今日は絶対に逆らうなよ」という言葉に、素直に「はい」と答えました。
放課後になり、僕が逃げ出さないようにと、2人に付き添われて部室に向かったのですが、部室に入ると彼ら以外に3人の男子がいました。
僕を含めると8人となり、部室はかなり窮屈に思えました。
彼らの話を聞いていると、どうも見慣れない3人は1つ下の学年のようで、彼らの後輩のようでした。
今日は彼らの後輩にまで僕の情けない姿を晒さなければいけないようです。
彼らの内の1人が、後輩に耳打ちすると、彼は乱暴な口調で「脱げ」と言いました。
初対面の後輩に「脱げ」と命令された僕ですが、彼の言葉は彼らの言葉と同じだという事でしょうから、逆らう訳にはいきません。
「はい」と答え、彼らの蔑むような注目の中、僕は着ている物を脱いでいきました。
ブリーフだけの姿になった時には、既に堅く勃起してしまっていたのですが、
後輩の1人がそれに気付き、聞いていた通り変態だと囃し立てました。
僕がブリーフを下ろすと、彼らの笑いは一層大きくなりました。
反り返るほどに勃起したペニスと、無毛である事に驚いたようです。
そして、勃起して大きくなっているにも拘らず、僕のペニスが小さい事や包茎である事を笑われました。
後輩の彼らからみても、僕のペニスは貧相だったようです。
ブリーフも脱いで全裸になった僕は、手を身体に沿わせ、直立の姿勢になりました。
彼らの前で性器を隠す事は許されていないので、彼らには僕の性器が丸見えでした。
前回の呼び出しの際に怒らせてしまった男子は、僕におしっこをして見せるように言いました。

しかも犬のように片足を上げてするように言われたのです。
四つんばいになり、前回、浣腸のお仕置きの時に使ったブリキのバケツを股間に置き、僕はペニスがバケツを向くように調節しました。
その格好が面白かったらしく、おしっこもせずにしばらくその格好でいるように言われ、その姿を笑われました。
足の方にいる後輩には、僕の肛門まで見えていたのでしょう、肛門から会陰、性器にかけて強い視線を感じました。
他人のそんな部分を見た事がないのでしょう。
しばらく凝視していましたが、不意に「小便してみろ」と言われました。
彼は年下ですが、完全に上下は逆転していました。
後輩に命令され、僕は「はい」と答えると、下腹に力を入れました。
全員が僕のペニスを見つめる中、僕はおしっこを始めました。
勃起していても包茎のままなので亀頭は見えませんが、皮の先からおしっこが出てきました。
射精やうんちをするところまで見られた僕ですが、
これだけの人数に囲まれた状態でのおしっこはさすがにとても恥ずかしいものでした。
チョロチョロと出始めたおしっこは、やがて勢いよくなり、ブリキのバケツの底に当たる「チャー」という音が部室に響いていました。

僕のおしっこが終わると、同級生の男子は、後輩にもおしっこをするように言いました。
彼らも同じ格好でさせられるのかと思ったのですが、
そんなはずもなく、普通に3人でバケツに向かってするようです。
僕はその前に正座をさせられ、その様子を見ていなければいけません。
僕の目の前に3人のペニスが出されました。
彼らが僕のペニスを見て笑ったのも当然だと思いました。
勃起してはいませんが、それでも僕のペニスが勃起している状態よりも大きいのです。
皮も剥けており、僕のペニスと比べると、完全に大人と子供といった感じでした。
気のせいかも知れませんが、その時の彼らの態度が誇らしげで、僕に見せ付けているようでした。
僕の目の前で、3人分のおしっこが弧を描いて、ブリキのバケツに溜まっていきました。

泡立ちながらバケツに溜まっていくおしっこを見ながら、僕は何かイヤな予感がしましたが、考えないようにしました。
彼らのおしっこが終わると、同級生の男子達は、今度は自分達の番だとばかりにバケツの前に立ちました。
彼は、そのバケツを僕に顔のすぐ前で持つように言いました。
僕は立っている彼の前で正座させられ、両手でバケツを構えました。
ボロンという感じで彼のペニスが出されました。
僕のペニスより大きかった後輩のペニスより、更にもう一回り大きかったように思います。
僕の目の前30センチほどの距離でおしっこが始まりました。
濃い黄色のおしっこが勢いよく出てきました。
バケツに顔を近づけているせいで、おしっこ独特の臭いが湯気と共に立ち上がってきました。
そうして、4人の同級生全てのおしっこをバケツに受けました。
バケツはもうずっしりと言えるほど重くなり、大量のおしっこが溜まりました。
僕の分も含めて8人分のおしっこです。底から10センチほどはありました。
正座して前に置いたバケツのおしっこを見ていると、いやな予感がだんだん現実に近付いているのを感じました。
「さて、いっぱい溜まったな。」
いやな予感は的中し、始まってしまったようです。

同級生の男子が僕に尋ねます。
「お前は今日、何をされるんだ?」
後輩は今日のゲストです。
ゲストの前で彼らに恥をかかせてはならないという事はもうしつけられているので、
僕は彼らが満足しそうな言葉を考えます。
「前のお仕置きの時に○○さんに失礼な事をしてしまったので、今日もお仕置きして頂きます。」
彼は満足そうに、そしてもっと僕を辱めるような質問をして、後輩の笑いものにしようとします。
「前の失礼な事って?」
「浣腸されてうんちを漏らして、○○さんにかけてしまった事です。」
後輩が、何?という顔をしています。
後輩の考える浣腸とは、よく子供達が遊びでやる指でお尻を突くものなのでしょう。
それとうんちを漏らす事にどういう関係があるのだろうと思ったようで、
同級生に「浣腸って?」と聞いていましたが、見ていればわかると流されていました。
見ていればわかるという事は、やはり今日も浣腸され、その様子を彼らに見られるという事です。
ゲラゲラ笑っていた後輩は一転して興味津々といった感じで、
僕と同級生のやりとりを聞いていました。
おもむろに同級生の1人がカバンをゴソゴソし出しました。
そしてあるものを取り出しました。
見覚えのある茶色のチューブ・・・
彼らにとっては僕をいたぶる為の楽しいおもちゃですが、
僕には激しい痛みと苦しみをもたらす拷問の道具、
しかも、目の前にあるのは前回のような単なる水ではなく、まだ湯気の立つ大量のおしっこなのです。

彼はそれを僕に手渡し、どうやって使うのか後輩に説明するように言いました。
これから僕が彼らに何をされるのかはよくわかっていましたが、
それを自分の口から言わなければいけないというのは、かなりの覚悟が必要でした。
自ら、自分の受ける拷問のようなお仕置きを説明するのです。
心のどこかで「もしかしたら許してもらえるかも」と思っていても、
説明してしまう事で、それらは現実になってしまうのです。
しかし、僕に断る事はできません。
僕はチューブを受け取り、説明を始めようとしました。
すると、同級生の1人が言ったのです。
「仰向けで具体的に説明してやれ。」

自分のかばんを枕代わりにし、僕は横になりました。
「仰向け」と言われたので、いつもの体勢にならなければいけません。
大の字から脚を両手で抱え、蛙のような体勢になりました。
彼らの目には、僕の肛門も性器も丸見えになっています。
皆、笑いながら見ていましたが、後輩がふとこんな事を言いました。
「コイツ、チ○ポは小さいくせに、タマだけ異常にデカくないか?溜まってんじゃねぇ?ずっと勃起したまんまだし。」
それを聞いた同級生はドッと笑いました。
彼らはなぜ僕がこんな状態なのか知りません。
同級生が説明してやれと僕に促しました。
躾として彼らに射精を管理されており、彼らの許しがなければ射精してはならない事、
そして既に3ヵ月もの間、その射精を許されておらず、常にペニスを勃起させてしまっている事・・・
僕は正直に話しました。
同級生は相変わらず大笑いしています。
後輩達は更に一層僕を蔑むような笑いと視線を僕に向けていました。
僕自身も自分で説明しながら、妙な感覚を覚えてしまいました。
他人に射精を管理され、それを忠実に守り、その結果、常にペニスを勃起してしまうほど身体に異常をきたしてしまっているという事実に、なぜか勃起を強めてしまっていたのです。
彼らから見ると変化はないかもしれませんが、
身体が射精を求めて自然に勃起しているのではなく、完全に興奮して勃起してしまっていました。
ペニスがヒクヒク反応しまっていました。
彼らに丸見えの体勢ですから、誰か気付いていたかもしれません。

一通り僕の話で彼らが笑うと、本題に戻り、浣腸の説明を続けるように言われました。
僕はチューブの端を持つと、もう片方の手で肛門を指差しながら、
「ここにこの先を入れて、もう片方をバケツに入れてこのポンプを押すと、バケツの中のものが入ってきます。」と説明しました。
僕の説明が不満だったのでしょう、同級生の一人が「もっと詳しく」と言い直しを求めました。
しばらく考えた末に、僕は再度説明しました。
「この先を僕の肛門に入れて、もう片方の先をこのバケツに入れてポンプを押すと、バケツの中のおしっこが僕のお腹の中に入ってきます。」
今度の説明は正解だったようで、彼らはまた笑います。
これで、僕が彼らのおしっこを浣腸される事は確定してしまいました。
同級生は後輩達に、今の説明通りに僕に浣腸するように指示しました。
他人に浣腸したことなどないのでしょう。
さきほどの説明をたよりに、ぎこちない手つきで浣腸の準備にとりかかりました。
同級生が、僕に挨拶を述べるように言いました。
僕はまた彼らが満足するような言葉を考えます。
「皆さんがバケツに出してくれたおしっこを僕に浣腸して下さい。お仕置きなので、全部入れて下さい。出してもよいと言われるまで我慢します。」
同級生は大喜び、後輩達も勢いづいて、早速僕の肛門意チューブを挿入してきました。

慣れていないのと、乱暴なのとで、初めは少し痛みがありましたが、先が入るとズブズブと押し込まれてしまいました。
「いくぞ」という後輩の声に、「はい、お願いします」と答え自分の股間を見ました。
直接肛門までは見えませんが、勃起したペニスの向こう側、股間に向けて茶色のチューブが伸び、ポンプを握る後輩の手と、まだうっすらと湯気の上がるバケツが見えました。
不意に、ぽこっとお腹の中が膨らむ感覚がありました。
チューブは思っていた以上に肛門の奥深くまで挿入されていたようです。
浣腸が始まりました。
ジュルジュルと液体を吸い上げる音が聞こえ、今度はお腹の中に何ともいえない温もりを感じました。
ついに僕の腸の中に他人のおしっこが注がれたのです。
身体が不要とし、本来ならばトイレに流されるべき排泄物が、お仕置きとして僕の腸内に流し込まれているのです。
人として、何か一線を越えてしまったような、とても情けない気分でした。
そう思っている間も、彼らのおしっこはどんどんそそがれていきます。
お腹の中の暖かい塊がどんどん大きくなっていくような感覚でした。
一線を越えた事で、僕の思考もかなりおかしくなっていたと思います。
排泄物を浣腸されながら、お腹に広がる暖かい感覚にうっとりとなり、
それが他人のおしっこである事も忘れて、恍惚状態になってしまい、はぁはぁと喘いでしまっていたのです。
それに気付いた同級生が僕に「感想は?」と聞きました。
「おしっこを浣腸されて気持ちいいです」
僕はぼーっとした感覚のままそう答えていました。
彼らは笑いますが、これは多分僕の本音だったと思います。
時間が経つにつれて、暖かいだけではなく、別の感覚が腸内に広がり、僕の意識もはっきりしてきました。
浣腸された時に必ず起こるもの・・・便意と苦痛でした。
それは次第に強くなり、苦痛は激痛となっていきました。