鬼ごっこ。

「んっ・・・はっ・・・!」

――ふふ、いい感じに高まってきたね。

そう言う彼は、少しぼやけたような、霞んだような、不思議な姿をしている。
見たことも無いような綺麗な顔をして、白い透き通った肌をして、手なんかツルツルしていて。
不思議な、深い紅の瞳をしていて、僕なんかとは別の世界に住んでいるような、綺麗な子だ。
まるで、この世のものではないような・・・。

そう、これは、僕の夢の中・・・だから彼は曖昧な姿をしているのだろう。
「く、ぅっ・・・」
股間を蠢く冷たい手の艶かしい感触に、僕は絶えず声を漏らし続けた。
僕が声を漏らす度に、”彼”は嬉しそうに笑い、舌の動きを、指の動きを早める。
するとますます僕の身体は熱くなり、だんだんと限界に近づいていくのがわかる。
限界・・・いつものあの感覚が溢れてくる。期待・・・してしまう。

――そろそろ、だよね・・・俺ももう、君の限界ライン、憶えてきちゃったよ。

「うぅぅ・・・」
膨れ上がった僕の股間のものが、ひくひくと震えて、待ちわびている。

――じゃあ、出させてあげるね・・・いっぱい出そうね・・・。

「く、ぁっ・・・ああぁっ・・・!」
ひときわ強く吸い上げられて、喉から甲高い声が漏れ、僕はいつも通りの快感に身を委ねた。
硬くなったそこの先から、おしっこの漏れるような感じが・・・快感と一緒に飛び出す。
「んんっ・・・」
出ているはずのそれを、彼はごくごくと飲み込んでいく。それも、とても美味しそうに。

――っはぁ・・・美味かったぁ・・・。

どこかうっとりとした表情で、彼は口元を拭う。
僕も、はぁはぁと息を吐きながら、彼の顔を見上げた。

――ごちそうさま・・・それじゃあ、また明日ね・・・。

口元に白いものを付けたままで、彼は笑って、すぅっと消えていった・・・。

***

○登場人物

・仲矢 無刀(なかや むとう)45歳
とある山の奥地にある古く寂れた社、冷水(しみず)神社の神主。
冷水神社は現代では珍しくなった退魔師を育てる施設として業界では有名であり、
無刀自身も現役時代には名うての退魔師だったが、退いてからは若手の育成に力を注いでいる。
年齢より老けた言動をするのは、癖であり、師としての威厳を保つためであるが、
弟子達からは親しみも込めて「じじむさい」と言われている。

・大神 天太(おおがみ あまた)19歳
都内で何不自由無い生活を送っていたが、中学に上がる前に自宅で両親を妖怪に惨殺される。
身寄りが無く途方にくれていたところ、無刀に才能を見出だされ、
以来冷水神社に住み込みで修行の日々を送る。
性格はとても真面目で、弟子達の中では最年長でもあり、兄貴分的な存在。
弟・空太に対して重度のブラザーコンプレックスを抱いている。

・高原 春栄(たかはら しゅんえい)17歳
現代では数少ない退魔師の名家の一つ、高原家の末っ子長男として生まれ、
周囲からの期待とプレッシャーを煩わしく思いながらも、それに応えられない自分を歯痒く感じていた。
中学を出ると自ら家を出て冷水神社を訪ね、以来修行を重ねている。
性格は明るく賑やかで、ムードメーカー的な役割をしている。女の話などもしょっちゅうだが、
小さいときから父は家に不在がちで、母と祖母、三人の姉に囲まれて育ったためか、
実は女性に対して恐怖心を持っている。

・瀬戸 悠丞(せと ゆうじょう)17歳
幼い頃から児童擁護施設で育つが、中学卒業と同時に施設を出る。
物心ついた時から霊や妖怪の類を見ることができたため、周囲からは気味悪がられていた。
性格はおおらかで温厚、いつも冷静でいるが、同い年で賑やかし役の春栄を相手にすると翻弄されがち。

・大神 空太(おおがみ そらた)12歳
天太の弟であり、現在の弟子達の中では最年少。
5歳の時に両親が妖怪に惨殺される場面を目撃し、ショックのため一時口が利けない状態にもなったが、
神社での生活に馴染むうち次第に明るさを取り戻した。
幼い時から神社に住み、外界から離れた生活をしてきたため、生来の天然さと相まって、少々世間知らずな面がある。
「――ぃ・・・おい、いつまで寝てるんだ」
「んっ・・・」
身体を揺すぶられて目を覚ますと、兄さんの顔がすぐ目の前にあった。
”彼”の顔とどこか重なって見えて、ドキドキした。
数秒経ってから頭が覚醒し、僕はガバッと身体を起こした。
「ご、ごめん、兄ちゃん」
「・・・なんてな、まだ時間あるから大丈夫だ。もう十分くらい寝ててもいいぞ」
「う、ううん、起きるよ」
「じゃあ顔洗って来いよ。布団上げといてやるからさ」
「うん・・・ありがと」
起き上がりかけてから、僕は自分の股間が今どういう状況なのか思い出した。
おずおずと、兄ちゃんの顔を見上げる。
「ん? どうした?」
「兄ちゃん・・・ちょっとあっち向いてて」
「え? あぁ・・・」
兄ちゃんは可笑しそうに笑った。
「それ、気にしてるのか? 恥ずかしい?」
僕は布団を引っ張り上げて顔を隠した。
「大丈夫、気にするな。男なら誰だって同じだよ。俺だってそうさ」
「え、兄ちゃんも?」
「あぁ。だから別に隠すことなんか無いんだ」
「そっか、うん・・・わかった」
布団を退けると、僕のそこは天井から釣った蚊帳みたいに突っ張っていたけど、
兄ちゃんが平気だって言ったから、僕はもう気にしなかった。
兄ちゃんが僕のことを見て笑っていた。
・・・そういえば・・・まだ時間早いのに、なんで僕のこと起こしたんだろう。

僕は目を擦りながら洗面所へ行き、冷たい井戸水で顔を洗った。
「お、早いなぁ」
背中から声をかけてきたのは、悠丞さんだ。悠丞さんは背がすごく高いので、振り返らなくても声の位置でわかる。
「あ、おはようございます」
「おはよう」
場所を譲ると、悠丞さんは大きな背中を丸めるようにして顔を洗っていた。
悠丞さんは大きな身体に似合うおおらかな性格の人で、いつも優しく、柔らかく笑っている。
「ん、どうした?」
声をかけられて、ぼぅっとその背中を見つめてしまっていたことに気づいて、慌てて首を振った。
「な、なんでもないです」
「寝不足か? 気を付けろよ?」
「はい、ありがとうございます」
悠丞さんは僕の背中をポンッと叩いて、顔や首をタオルで拭いながら出ていった。
僕はまた、その背中をちょっと見つめてしまった。

神社の朝は早い。
しかも太陽の動きに合わせて寝起きするので、暑いこの時季は特に早い。
でも僕は、朝まだ暗い時間の境内のシンとした空気が好きだ。
朝一番は掃除から始まる。今週僕は境内の掃除当番だ。
ごみなどは元々落ちていないから、枯れ草や落ち葉を集める。これは後で竈にくべる。
セミの遺骸なんかは、境内にある林の落ち葉の中へ埋めてやると、数日すれば虫達が運んでなくなっている。
石段の一番下まで掃除してから、最後に鳥居の足元を掃き清める。ちょうどその時、

「朝飯ができましたー!」

裏手の方から悠丞さんの間延びした声が聞こえた。僕は箒と集めた枯れ草を手に炊事場へ向かった。
僕はようやく一人で炊事ができるようになったところで、兄ちゃんや悠丞さんに教えてもらいながら当番をこなしている。
僕達の中では悠丞さんが一番料理が上手く、悠丞さんが当番の時、僕はご飯が楽しみで仕方ない。
だけど・・・
「ごちそうさまでした」
最近はあまり食欲が湧かないんだ。
「もういいのか?」
兄ちゃんが心配そうに言ってくる。
悠丞さんも苦笑いする。
「不味かったかな」
「そ、そんなこと無いです!美味しいです!」
でも、箸が進まないんだ・・・なんでだろう。
「お前、クマができてるぞ」
兄ちゃんの横から顔を覗いてきてそう言ったのは、いつも一番元気な春栄さんだ。
元気というか、賑やかというか、うるさいというか・・・そんな言い方しちゃいけないな。
でもとにかく、面白い人なんだ。
「そういえば、今朝もぼぅっとしてたな」
悠丞さんも言う。
「俺が早く起こし過ぎたかな」
兄ちゃんまで言うから、僕はまた慌てた。
「そんなことないよ、早く寝てるし・・・」
「だったらクマなんてできないだろ」
答えに困って、僕は正直に言うことにした。
「夢を見るんです」
「夢?」
頷いて、僕は続けた。
「変な夢なんです」
「変、って、どんな夢だよ?」
「それは・・・その・・・」
何と言っていいか迷っていると、春栄さんが、何か思い付いた風に笑った。ニヤッ、て。
「ひょっとして、ヤラシイ夢か?」
違う、とも言えなくて僕が黙っていると、やっぱりな!って春栄さんがまた笑った。
「頭空っぽのカラタも、そういうお年頃かかぁ」
「カラタじゃありません、空太(ソラタ)です」
「そうなのか、空太?」
兄ちゃんが心配そうに・・・ちょっと焦った感じで聞いてくる。
「お前達、いい加減にしなさい」
お師様が言って、僕達は食事の片付けを始めた。

「――んなの、気にする必要無いんだぜ」
春栄さんが皿を洗いながらさっきの続きを言ってきた。
「男なら誰だってそんな夢くらい見るんだ。お前が大人になってきたって証拠じゃないか。なぁ、悠丞?」
急に言われた悠丞さんは、拭いていた皿を落としそうになっていた。
「おっ・・・俺に振るな」
「ちぇ、相変わらずムッツリなんだから」
悠丞さんに睨まれて春栄さんは目を逸らし、代わりに兄ちゃんの方を向いた。
「なっ、天太?」
「ん? ま、まぁなぁ・・・誰だって少しはあるもんじゃないか?」
「兄ちゃんも?」
僕が訊くと、兄ちゃんは少し苦笑いして、
「ま・・・まぁ、な」
って赤い顔で言った。
「な、気にするなよ」
春栄さんが言った・・・けど、
「でも、毎晩のように見るんです。僕、どこかおかしいんでしょうか」
「あんまり気にしてるから見ちゃうんだよ。何も考えなきゃ、そんなに見なくなるよ、きっと」
「そうでしょうか」
「そうそう。大体が夢の話なんだしさ。あれこれ考えないで、いっそ思いっきり楽しんじゃえばいいんだよ」
「えええ」
「夢の中の人にいろいろ教えてもらっちゃえよ。・・・かわいい子なのか?」
「かわいい、というか・・・すごく綺麗な人なんです」
「へぇ・・・空太は美人系が好きなのかぁ」
「おい、春栄、そろそろやめとけよ」
悠丞さんが春栄さんのことを小さく諌めた。
「はいはい・・・まぁこんな話してても、俺達みんなまだ童貞なんだけどなー」
「しゅ、春栄――」
「童貞ってなんですか?」
僕が訊ねると、三人の動きがぴたっと止まった。
それから春栄さんはニヤニヤ笑いだし、兄ちゃんはなんか困ったような顔になり、悠丞さんはますます真っ赤になった。
「ははは、さすがカラタ、そんなのも知らないのか。童貞ってのはムグッ――」
何か言いかけた春栄さんの口を悠丞さんの大きな手が塞いだ。
「僕、何か変なこと言ったんでしょうか」
「い、いや、空太は気にするな。とにかく夢の件は、あくまで夢の話なんだから、
お前なりに楽しんでしまえばいいと俺も思うよ。あんまりくどくど考えないことだ。な?」
悠丞さんは話ながら春栄さんの口を押さえ続けた。春栄さんの顔が赤くなっていく。
「はい・・・わかりました、悠丞さん」
「うん、じゃ、こいつは俺がシメとくから」
「え?」
悠丞さんは春栄さんを引きずりながら炊事場を出ていった。
なんで春栄さんを閉めるんだろう。閉めるって何を?
「空太」
兄ちゃんが心配そうな顔で僕のことを見ていた。
「大丈夫だよ、兄ちゃん。もう、あんまり気にしないようにするよ」
「うん・・・お前さ、悠丞の言うことはいっつも素直に聞くよな」
「え、そうかな」
別にそんなことないと思うけど。
「悠丞はカッコいいもんな」
「うん、カッコいいよね。背だって大きいし、優しいし」
「・・・空太、悠丞のこと好きなのか?」
「うん、大好きだよ」
「そうか・・・」
それでもまだ兄ちゃんは心配そうな顔をしていた。なんでだろう。

とにかく、僕は皆の言ってくれたことで少し気が楽になったような気がした。
どうせ夢なんだし、気持ちいいのは本当なんだし、いっぱい楽しんじゃえばいいんだ。
そう考えると、今日は夜が来るのが待ち遠しくさえ思えた。

***

「お前達、鬼というのがどういうものか、知っているか」

瞑想を終えて説法の時間になると、お師様はそう言って僕達を見た。
鬼・・・。
「はい」
春栄さんが手を挙げた。
「赤や青の身体をして、山のように大きくて、頭には角なんか生えてて、虎の革のパンツを穿いてるヤツですかぁ?」
僕のイメージもそれだ。まさにその通り。
「それは御伽噺の世界の鬼だ。実際の鬼はそんな姿はしていない」
「実際の鬼って、お師様、見たことがあるんですか?」
春栄さんが言うと、お師様は重々しく頷いた・・・やっぱりすごいんだ、お師様は。
「この世の本当の鬼は、人の姿をしている」
「・・・それって、」
春栄さんが不満そうに続けた。
「『この世で最も恐ろしいのは人間じゃ』とか言うお説教ですか」
お師様の声真似を交えて言うので、僕は笑いを我慢した。
悠丞さんがぷっと噴き出したけど、お師様に睨まれて居住まいを正した。
「違う。黙って最後まで聞きなさい」
お師様は咳払いをして、
「世の中には山ほどの妖しの者が居る。だがお前達、妖しの者をどうやって見分ける?」
「そりゃあ・・・奴らは大抵、化け物じみた姿をしていますから」
「そうだな。ならば、犬や猫はどうだ。熊はどうなのだ? 人とは違う姿だろう。あれらは妖怪か?」
言われて、春栄さんはうーんと唸った。代わりに悠丞さんが、
「でも、犬や猫は、それが『犬』や『猫』だとわかっています。あれらは人に害を為しません」
「ふむ、確かに。だが化け猫というのも居るぞ? 古風だが、唐傘妖怪なども実在する。あれらはどうなるのだ」
悠丞さんも唸って黙ってしまった。今度は兄ちゃんが、
「妖怪というのは、要するに我々が未だ『よくわからない』『よく知らない』者達のこと、ではないでしょうか」
「そうだ。大抵の妖怪はその解釈で間違い無い」
「さっすが、天才の天太さん」
春栄さんが茶化すように言って、悠丞さんがその頭を軽く叩いた。
「なればこそ、だ。よく知っているものと思い込んでしまう時が最も恐ろしいのだ。
猫と思っていたものが化け猫だったら? 傘を差したら実は妖怪だったら、恐ろしいだろう?」
うん、なるほど、と皆がめいめいに頷く。
「そして、その中で最も恐ろしいのが、『人の姿をした人ではない者』なのだよ」
「それが鬼、ですか」
お師様は頷いて、僕達の顔を順番に見た。なんだか緊張する。
「鬼とは、絵に描いたような化け物の姿をしているものではない。
そのような鬼も居るには居るが、恐ろしい鬼は、人の姿をしている。
人の姿で、人に近づき、陥れる。あるいは、喰らう」
ごくり、と僕の喉が鳴った。
「お、鬼に会ったら、どうしたらいいんですか・・・?」
おずおずと、僕は尋ねた。
「良い質問だ、空太。鬼に出くわしたら、まず退治しようなどとは思わないことだ。
とにかく逃げろ。そしてもう一つ、鬼の話を決して聞いてはならない」
「何を言われても無視しろ、ってことですね」
春栄さんの言葉に、お師様が首を振った。
「そうではない。聞いてはならないのだ」
「・・・耳に入れるな、ということですか?」
「そうだ。鬼は、人の姿をしているだけでなく、人の心をも持っている。こちらの心を見透かす賢しさもな。
奴らは言葉巧みに、人を陥れる。その言葉には、いかに熟練の修行者であっても、心を動かされてしまう。
こちらの弱いところを突いてくる。こちらの喜びそうなことを言って誑かす。
お前達のような若者では、あっと言う間に騙されて陥れられてしまうだろうよ」
お師様の脅すような言い方に、僕は身震いした。
「だから、鬼の言葉は、そもそも聞いてはいけないのだ」
「それは難しいことのような気がします。聞いてしまった場合はどうすれば良いのですか?」
兄ちゃんが尋ねると、お師様は顔を顰めた。
「万が一鬼の話の相手などしてしまった場合には、とにかく心を強く持つしかない。
鬼の言葉を信じず、己と、信頼に足る人間の言葉を思い出すのだ」
お師様はそう言ったが、その前に「僕達じゃひとたまりもない」と言い切っているのだ。
これは、気休めの言葉なのだろうか。
「はい」
春栄さんがまた手を挙げた。
「そもそも、鬼は人の姿をしているんでしょう? そいつが鬼だっていうのは、わかるものでしょうか」
そうだ、確かに。相手が鬼なのか人なのかもわからなければ、話をしていいのかどうかもわからないじゃないか。
「お前の言う通りだ。たとえばここに居る誰かが、実は人ではないかもしれないな」
「えっ・・・」
春栄さんは絶句して、僕達の顔を見回した。
僕はぶんぶんと首を振った。
「ち、違います、僕、鬼じゃありませんっ」
「わかってるよ、そんなこと」
「どうかな? ひょっとしたら、私が鬼かもしれないぞ」
「えええ」
僕は大きな声を出して驚いてしまった。
「ははは、お師様、こいつをからかわないでくださいよ」
兄ちゃんが僕の頭を撫でた。
「すまんな。だが、さっきも言ったろう? とにかく、己と、信じるに足る人のことを信じるのだ。
私は人だ、と言ったところで、言っている私が鬼なのか人なのかは、お前にはわからないことだ。
誰を信じるのかは、お前自身の目で見極めるしかないよ」
「・・・精進します」
僕は手をついて頭を下げた。
お師様の説法は、いつも、ためになるような、ならないような・・・不思議なお話だ。

いつものように、障子の向こうに人の立つ気配を感じて、僕は胸を躍らせた。
いつもなら布団を被って怯えているところだけど、今日は違う。
障子をそっと開けて入ってきた彼は、布団の上に正座した僕を見てびっくりしていた。
「どうしたの、今日は隠れないの?」
「もう隠れなくていいんです」
「うん?」
僕は、悠丞さん達から言われたことを彼に伝えた。すると彼は大きな声で笑い出した。
「そうかそうか、なかなかできた子達だね。面白いことをいうじゃないか」
「面白い、ですか?」
何が面白いのか、僕には分からなかった。
「そうだよ。まぁ年若いからだろうね。不合理に利己的なのは子供の特権だよ。
しかも一番性欲が成長する年頃だし、おまけに温室育ちの坊っちゃん達だし、そう考えると案外普通の反応なのかも」
彼は僕には難しくてよくわからないことを言ったけど、ずっと楽しそうにしていたし、きっといい話なんだろう。

「あの、今日はハッキリ見えますね」
「え?」
彼の姿が昨日まではぼんやり霞んで見えていたことを、今日は輪郭がくっきり見えることを教えると、彼はますます嬉しそうに笑った。
「それはね、君が僕に心を開いた証拠なんだよ」
「心?」
「うん、君の気持ちが僕の側にぐっと近づいたからだよ。嬉しいなぁ」
僕はやっぱりよく分からなかったけど、彼が嬉しいと言うなら、僕もなんだか嬉しい。
「ひょっとして、今日は最後までいけちゃうかな」
「最後? なんのこと?」
「ううん、こっちの話。さぁ、そろそろ始めようか」
「あ・・・うん」
分かっているのに、やっぱりまだ少しだけ緊張してしまう。
「ほらほら硬くならないで。お兄さん達の言葉を思い出して」
「・・・うん」
これは夢なんだ。何も恥ずかしがらなくていいんだ。
「あ、でも、」
彼は僕の身体に覆い被さるようにして、僕のそこをそっと握った。
「ここはうんと硬くしていいからね」
「う・・・ん・・・」
触られただけなのに、僕は身体中に鳥肌が立ってしまった。

「あ・・・あぁ・・・!」
「ふふ、すごい声だね。昨日までとは随分違うじゃないか」
彼にこうやって笑われて、言葉で苛められるのにもだんだん慣れてきた。
「昨日までは、我慢してたんでしょ? ホントは気持ち良かったんでしょ?」
「う、ん、いっつも・・・すっごく、気持ちよかった。声・・・我慢して、た・・・」
僕が素直に答えると、彼は満足そうに笑って、
「泣きながら感じまくってる君を寸止めしまくるのも楽しかったけど、こういうのも案外いいね。
大人はちょっとなぶるとすぐ堕ちるけど、子供って頑固だから。欲望に素直なショタってのも悪くない」
また彼はよくわからないことを言った。しょたって何だろう?
「ひぁっ!」
突然何かが僕のお尻に触れた。頭を起こして見ると、彼の白い手が僕の股の間に入れられていた。
「な、何・・・してるの」
「お尻弄ってるんだよ」
変な感じだった。自分でも、トイレでしか触ったこと無い場所を、布団の上で、他の子に触られてるなんて。
「き、汚いよ・・・」
「全然」
彼は急に僕の足を掴んで上に持ち上げると、突き出した僕のお尻に顔を近づけて、ぺろって舐めた。
「うぁん! ・・・な、何するの」
「君は世間知らずだから仕方ないけど、男の子のここは性感帯なんだよ」
「せい・・・? 何、それ」
「あらら。あのね、じゃあ、こうしたらわかるかな」
ぺろっ、て今度は僕の硬くなったそこを舐めた。これはもう何度もされているけど、それでもやっぱり、
「おちんちん、きもちいいでしょ?」
「う、うん・・・」
「でもね、ここは、それよりもっときもちいいんだよ」
「え・・・も、もっと・・・?」
「そう」
もっと・・・ちんちん触られるより、舐められるより、もっと気持ちいいのかな。
そういえば、ちょこっと舐められただけだけど、身体、ぞくぞくする。
もし・・・もし、もっと何かされたら・・・。
「あ、今、おちんちん、ひくひくってなったよ。期待してる?」
「き、たい・・・?」
「うん・・・」
彼は僕の身体を登るようにして顔を近づけてきて、耳元で、――って、囁いた。
僕はそう言われて、自分のちんちんが、びくって震えるのを感じた。想像してしまったからだ。
僕が頷くと、彼は笑った。
「じゃあ、そう言ってごらん? そうしたら、してあげるよ?」
目の前で彼の紅い目が、にこにこと笑っていた。
彼の提案に従うことは、とても面白そうに思えた。
「うん・・・」
「ほら、言って」
「・・・ぼくの、」
恥ずかしい言葉を口にするのは、まだあまり慣れない。
「僕の、お尻、触って・・・」
「うん、どんな風に?」
「お尻の穴に、ゆ・・・指、入れて・・・ぐちゅぐちゅ、って・・・して」
「そっかぁ、わかった。してあげる」
彼は笑いながら、腕を身体の下の方へ回した。お尻の穴に、また何かが触れた。
「あっ・・・」
お尻の穴が、ぐいっと拡がる感じがした。裂けるような感じがする。
「あ、いっ・・・!」
「大丈夫、痛くないよ。これは夢だからね」
彼がそう言うと、痛みがさぁっと消えた。
「ほら・・・ずぶずぶ、入っちゃうよ・・・?」
彼の冷たい、長い指が、僕の中に入ってくる。
「あ・・・ん・・・!」
お尻の中と彼の指が擦れて、その度に僕の身体が勝手にびくびく跳ねて・・・キモチイイ・・・。
「ねぇ、どう? 気持ちいい?」
「う、うん・・・すごい・・・不思議な、感じ、する・・・」
「そうか。これから、もっともっと、気持ちよくなるからね」
もっと・・・もっと、もっと・・・。
彼の指が奥へ奥へ入っていく。その先っぽが、お尻の中の、突き当たりにぶつかるような感じがした。
「あんっ・・・!」
自分の口から出た声に驚いて、僕は口を手で押さえた。
「ほらほら、我慢しなくていいんだよ?」
彼は繰り返し、ソコをぐりぐりと指先で押してくる。
「あっ、あっ、あああぁ・・・」
「もっと声出しなよ。そうしたらもっと気持ちよくなるよ」
もっともっと・・・。
「あ、あ、あ、あ、あ・・・」
「うーん、初めてとは思えないね、この感じっぷり。いろんな意味で、才能溢れてるねぇ、君」
彼の言っている言葉はただでさえ意味がわからないのに、気持ちが良すぎて、殆ど頭に入らなかった。

「そろそろ仕上げに行きたいんだけど、その前に、やっぱり一通り仕込んでおかないとねぇ」
散々お尻の中を弄られて、僕の心臓はバクバク言っていた。汗がだらだら流れている。
ぼんやりした視界の中、目の前に、急に白くて長いものが突きつけられた。
「え・・・?」
彼が、自分のちんちんを、僕の目の前に突き出していた。
彼のおちんちんは、その肌と同じように透き通るように白くて、でも僕のよりずっと大きくて太かった。
彼のおちんちんも、僕のと同じように、硬くなって上を向いていた。
「舐めてごらん」
「え・・・」
「嫌、ってことは無いよね。僕は君のをたくさん舐めてあげたじゃないか」
「う、うん・・・」
それでも僕が躊躇っていると、彼は続けて、
「君、誰かのおちんちんを舐めたことがあるかい?」
「な、無いよ。あるわけないじゃないか」
「それは勿体無いなぁ」
勿体無い・・・?
「男の子のおちんちんはね、少ししょっぱいけど、すっごく美味しいんだ」
「え・・・そ、そうなの・・・?」
「そう。不味かったら、僕だって君のを舐めたりしないよ」
そうか、それもそうだ・・・。
彼にそう言われると、目の前にそそり立っている彼のおちんちんも、美味しそうに見えてくる。
「ほら」
促されて、僕は小さく口を開けた。舌を伸ばして、先っぽの太いところの裏っかわを、ぺろって舐めた。
「ひゃっ」
彼が小さく声を漏らして、腰を引いた。
「や、やらしい舐め方するねぇ・・・そういう才能もあるのか。恐ろしいねぇ」
彼は咳払いして、改めておちんちんを僕の口にくっつけてきた。
「口を開けて、咥えてごらん」
言われた通りに、口をめいっぱい開けて、パクッと咥えた。
舌で舐めると、確かにちょっとしょっぱかった。でも、不味くはなかった。
いや・・・美味しかった。
「よく舐めてごらん・・・先っぽから、甘じょっぱいのが出てくるよ」
やっぱり言われた通りにしていると、彼のおちんちんの先から、じわじわとしょっぱいものが出てきた。
それが、美味しくて・・・僕はいつの間にか、夢中になって彼のおちんちんを舐め回していた。
「先っぽだけじゃなくて、下の方とか、横とか、たまたまのところとか、舐めてごらん」
あちこちを舐めていると、またじわじわと甘いものが染み出してくる。
そうか、これがおちんちんの味なんだ・・・美味しい。
だから彼も、あんなに僕のおちんちんを舐めてくれたんだ。
舐められて気持ちよくて、舐めると美味しくて、男の子のおちんちんって不思議だ。

「さて・・・そろそろ仕上げかな」
彼は僕の口からおちんちんを引き抜いた。じゅぽっ、て音がした。
僕はもう少し舐めていたかったから、彼のおちんちんに手を伸ばして掴んだ。
「だ、だめだよ。俺、出ちゃいそうだよ」
出る、って・・・そうか、僕も彼に触られて、いつも最後は出してた。
あの、白い、何か・・・あれも、彼は美味しそうに舐めていた。
ひょっとして、あれも、美味しいのかなぁ・・・。
舌を伸ばそうとする僕の顔を押し退けて、彼は僕のことを布団に押し付けた。
「だめだってば。ほら、さっさと仕上げしちゃおうか」
「ねぇ、さっきから、仕上げって何なの?」
「うん? 教えて欲しい?」
彼はまた、勿体ぶるような言い方をする。
「僕のおちんちんを、君のお尻に入れるんだよ」
「えええ」
こ、このでっかいおちんちんを、僕のお尻に・・・?
「だ、だめだよ、破けちゃうよ」
「何言ってるの、君のお尻、もうすっごく拡がってるよ?」
彼はまた僕のお尻に触る。そうするとまた気持ちよくて、身体から力が抜けてしまう。
「あぁん・・・」
「それにこれは夢なんだよ? 大丈夫、ちっとも痛くないから」
準備するように、僕のお尻に指を出し入れしながら、彼は続けた。
「君の、気持ちいいところ、ここでしょ?」
「あぁっ・・・そ、こ・・・!」
「ここをね、僕のおちんちんで、ぐりぐりしてあげるよ」
「え・・・!」
こんなに、でっかいおちんちんで・・・ぐりぐり、されたら・・・。
想像するだけで、お尻の穴がひくひくしてしまう。
「ほら、君のお尻も、入れて欲しいって言ってるよ? ・・・入れていいよね?」
僕が頷けないでいると、彼は、
「入れてって言ってくれなきゃヤだよ。入れてあげない」
「えぇっ」
「言ってくれないなら、今日はこれで終わりだよ」
「ええっ!?」
彼は指を抜いて、にやにやしながら僕を見てくる。
「・・・い」
「うん?」
「い・・・れて・・・」
「何を? 何所に?」
意地悪だ・・・この子は本当に意地悪だ・・・。
「その、おちんちん・・・僕の、お尻に――」
「わかった、入れたげる!」

ずぶっ・・・

「は、ぁっ・・・!?」
指なんかとは全然違くて、太くて、硬くて、大きい彼のおちんちんが、僕の中へ入った。
「あぁ・・・あったかいよ、君の中」
彼のおちんちんは冷たくて、僕の身体はぶるぶるって震えた。
「それじゃ、言った通り、ぐりぐりしてあげるね」
彼はゆっくり腰を動かした。
「んっ・・・ん・・・!」
彼の腰が前に出る度に、僕の奥に当たって、食いしばった口から声が漏れる。
彼の腰が後ろに引く度に、僕の身体から何かがずるずる抜け出していくような、ぞくぞくする感じがする。
知らない間に彼の腰の動きが早くなり、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃって、僕のお尻から音がした。
「いやらしい音だねぇ」
「い、やら、しい・・・?」
「そうだよ。すごくいやらしい音。君の顔も、今、すごくいやらしいよ」
「いやらしい、顔・・・?」
「そう・・・快感に溺れて、真っ赤になって、汗だくで、涎垂らして・・・浅ましい男の顔だよ」
快感に、溺れて・・・浅ましい・・・。
「ほら、見てごらんよ」
彼が指差した先には、障子の雪見窓があった。
そこに嵌まったガラスには、夜の闇の上に、裸の僕の身体が映っていた。
僕の顔は、なるほど真っ赤で、汗でてかてか光ってて・・・あぁ・・・。
「いやらしい・・・」
「そうだよ、君は、本当にいやらしい男だね・・・まだ子供のくせに」
子供なのに・・・僕、こんな・・・。
「君の先輩達でも、まだ、そんなにいやらしい顔をしたことが無いと思うよ。子供のくせに、生意気で、助平なガキだね、君は」
生意気で、助平・・・そんな、僕・・・。
「それでも、俺は、そういう男が大好きだよ。馬鹿で間抜けで、欲望に素直な男が大好物なんだ」
馬鹿、間抜け・・・いつも春栄さんに言われていることだ。
いつもすごく悔しいのに、今は・・・なんでだろう、彼に言われると、嬉しくさえ感じる。
だって彼は、僕のこと、「大好き」って言ってくれている。
「ほらほら、もっといい声出しなよ」
「あぅ、あっ、あっ・・・」
「ほんと、女みたいだねぇ。ううん、女より醜いよ、君は」
「うう、うぅぅ・・・!」
僕はいつの間にか泣いていた。泣いているのに、気持ちよくて、嬉しい。
「ふぅ、ねぇ、俺、そろそろいきたいんだけど、いってもいいかな?」
いく・・・出すってこと?
「ねぇ、君の中に、出してもいい?」
彼も紅い顔をしながら、紅い目で、僕のことを見下ろしてくる。
あれ、でも・・・その顔は、今まで見たことが無いくらい、冷たくて・・・怖い。
「まぁ、だめって言っても、もう止められないけどね、俺も」
「え、な、なに――」
「もう、出ちゃうよ、お前の中に。俺の、冷たい、精液、出ちゃうよ」
腰を振りながら叫ぶ彼は、怖くて、わけがわからなくて、でも・・・。
「そうしたら、お前も、俺の仲間なんだ。あっと言う間さ。怖がることないよ。
すぐに生まれ変われちゃうんだから。俺だってそうだったんだから。
俺だってこうやってヤられて、いつの間にかこんなになっちゃってたんだ。
だからお前も、俺が、生まれ変わらせてやるんだ。そうしたら今度は、お前が――」
僕が・・・僕が、何・・・?
「あぁっ、だめだ・・・出る・・・出る出る出る・・・ッ!」
彼が腰を思いっきり打ち付けた。
「あぁんッ!?」
同時に、僕の中に、冷たい何かがじわっと広がるのを感じた。
その、ぞくぞくするような冷たさに、僕のおちんちんが、いつもと同じようにびくびく震えだした。
僕は手で触ってもいないのに、僕のおちんちんから、僕の白いのが・・・精液が、びゅびゅって飛び出した。
精液は僕の顔まで飛んできて、僕の口にも飛び込んだ。
ごくっ・・・。
「あぁ・・・」
やっぱり、そうだ・・・やっぱりこれ、美味しい・・・。

――僕はいつの間にか気を失っていた。

***

ちゅん、ちゅんちゅん・・・。
境内の雀が鳴き始めて、僕はいつも通りに目を覚ました。
だけど目が覚めた場所は、いつもと違う世界みたいに感じた。
――どう? いい気分でしょ?
彼の姿はもう傍には無かったけど、声は前よりもっとはっきり聞こえた。
僕は布団から起き上がり、隣の部屋へ続く襖をそっと開けた。そこに眠っている兄ちゃんを見る。
あんなに大声で喘いだのに、ぐっすり眠ったままだ。やっぱりあれは夢だったんだ。
なのに、僕はもう自分がすっかり変わってしまったことを自覚している。
・・・今の僕の目は、きっと紅い。
――君はやっぱりすごいね。目覚めたばかりなのに、もう僕の力を越えちゃってる。
僕にももう、彼の言っていることがわかる。言われなくたって、全部わかる。
――わかってるだろうけど一つだけ、言っておくよ。
――君はこれから僕と同じことをする。でも、誰かに代わりを押し付けちゃえば、君は元に戻ることもできる。君が選べるんだ
そのことについても、僕はもうわかっている。
――僕はもう疲れたからね。この辺で失礼させてもらう。わかるかい? 君が僕の代わりだ。
「うん・・・わかる」
――じゃあ後は任せるね。君の好きにするといい。
それを最後に、彼の気配は掻き消えた。
でも僕の方にも、もう彼には用はなかった。後は全部自分でやれる。何をすればいいかわかる。
・・・最初はやっぱりあの人だよね。
「ふふ・・・」
何もかも楽しくて、これからが楽しみで仕方なかった。

ーーーーーーーーーー
こんばんは、ハチでございます。連投すみません。早速ですが新しく書いてみました。
元は某所で語られていたネタから着想したのですが、路線は違っています。
が、とはいえパクリっぽいです。最近アイデアが枯れています。
ので、いつでも力尽きられるように、一話完結型で進めようと思います。
あまり書く間が無いことも多いですが、よろしければお付き合いください。ではまた。
今日は、月に一回の外出日。
俺達は普段神社にこもりっきりで、月に1日だけ、自分で日を決めて外出してもいいことになってる。
普段使う食糧なんかは近所の農家や生協に頼んで届けてもらっていて困らないし、
他に何か必要になったらお師様が町へ下りて買い足してくるんだ。
・・・とはいえ、山を下りて国道に出るのに二時間、そこからバスで町まで一時間。
勿論門限は固く決められていて、暗くなる前に神社に戻らなくちゃならない。
帰りの山道は行きの倍近く時間がかかるので、町で遊べる時間はほんの少しだ。
それでも俺は毎月必ず山を下りる。

――それだけ苦労して山を下りて、その上、こうして待たされてる。
「ごめん、待った?」
待ちわびた声に振り向き、俺は首を振る。
「ううん、今着いたとこ」
「そう? よかったぁ」
彼女は走ってきたのか、額に汗を滲ませていた。
「とりあえずそこでお茶しようか。お化粧直したいし」
「うん」
「っていうか、今着いたとこって、悠君も遅刻じゃん。ダメだなぁ」
「そうだね。ごめん」
って、俺、なんで謝ってるんだろう。悪いの俺か?それでも謝っちゃうのか、俺。。。

俺達は近くの喫茶店へ入った。
冷たいものを飲みながら、これからどうするかという話になった。
「ねぇ、今日は何時くらいまで大丈夫?」
訊かれ、時計に目を遣りながら考える。できれば3時には出たいけど、
「4時くらい、かな」
と、答えてしまう。
「ほんと?」
彼女が嬉しそうに笑う。俺も笑って頷く。
「じゃあ、あのね、行きたいところがあるの」
「いいよ。どこ?」
映画とか買い物とかだろうと思って促すと、
「ホテル」
「ホテルかぁ・・・ホテル!?」
思わず出てしまった大声に、周りの目が一斉にこちらを向くのがわかる。
「あの・・・何しに行くの?」
身を小さくして訊ねると、
「何って、ランチ」
「ランチ?」
「そ。ビュッフェが美味しいって話で、一回行ってみたかったの」
「あぁ、バイキングってやつ」
「違うわ、ビュッフェよ、ビュッフェ」
下唇を噛み千切らん勢いで言う彼女の発音が正しいのかどうかはともかく、彼女は楽しそうだ。

やってきたのはちょっといい感じのホテルで、そこかしこに高級感が漂っていた。
ビュッフェランチとやらは確かに美味く、普段粗食を強いられている俺は腹が破れそうなほど食べてしまう。
彼女の方も色々が乗った皿を目の前に並べて満足そうに、
「やっぱバイキングはこうでなくちゃね」
と・・・ビュッフェだよ、ビュッフェ。
デザートのケーキやらメロンやらを食べながら彼女は、
「この後どうする?」
「うん」
よくない癖だとは思いつつまた腕時計に目を落とす。
「私ね、行きたいところがあるの」
「どこ?」
今度こそ買い物か何かか。
「うん・・・ラブホ」
「ラブホかぁ・・・ラ!?」
ぶほっ、とチーズケーキが口から飛び出した。慌てて水を飲む。
「だって・・・行きたかったんでしょ?」
「い、や」
誰もそんなこと言ってない。
「私から行きたいって行ってるのに?」
「あ、ああ、うん、え?」
あまりに急な展開に頭がついていかない。
「じゃ、あ・・・行こうか」
「悠君ってムッツリだよね」
どこかの馬鹿と同じようなことを言う。
助平を否定するほど図々しくはなれないが、その接頭語にはなぜか腹が立つ。

少し歩くと、そこはすぐに歓楽街だった。繋いでいる手から彼女の緊張が伝わる。
こちらはこちらで、せっかく食べたものを緊張でリバースしそうだ。
「ここでいい?」
あまりボロくなくて、比較的安いところ。
「彼女は頷いた。」
入り口へ歩を進める――

「あっれ、悠丞?」

どこかの馬鹿の声が聞こえたような気がした。
無視すれば良かったのに、俺はつい振り返ってしまう。
「何してんだ、こんなとこで」って、馬鹿が駆け寄ってくる。
何をしてるかって、まわりをみればこんな所がどんな所かすぐにわかるだろうに。
「悠君・・・誰?」
「あぁ、あの、何て言うか、兄弟弟子みたいな」

「彼氏」

――え?

見ると春栄は見たことが無いくらい真剣な表情でいる。
「ひどいぜ、悠丞。俺が居るのに」
――な?
「俺が居るのにこんなブスと」
――ぶ?
言われて改めて彼女を見ると、なんだかブスに見えてきてしまった。
「ご、ごめん、春栄・・・俺、つい」
つい? 何言ってんだ俺?
目の前で彼女の顔がみるみる真っ赤になっていき、腕が振り上げられる。
「最低ッ――

***

ガバッと身を起こした場所は、いつもと同じ見慣れた部屋。まだちょっと薄暗い。
隣ではいつものように平和な寝息を立てる馬鹿が一人。
本当は別の部屋が良かったに決まっているのだが、部屋が足りなくて仕方なくこうなっている。
それに俺は嫌だったのに、こいつはお師様に嬉しそうにいいっスよなんて言ってしまって、俺だけ嫌なんて言えなかった。
だったら一番下の空太はなぜ一人部屋なのか。お師様が言うには、空太は少々甘えたなところがあるので、自立心を持たせるため。
それにお前ら仲いいんだからいいだろ、ってそれは妙に軽い感じで言われた。まぁ同い年だし仲は悪くないが。
ついでにこの馬鹿は、ずっと姉と同室だったので兄弟みたいで嬉しいとまで言った。マジで馬鹿だ。

その馬鹿の頬を爪先で軽く蹴ってやった。夢の中の仕業への腹いせだ。つまり八つ当たり。
「うん・・・あ、おはよ」
「うるさい馬鹿」
「ええ何それリフジーン・・・」
寝惚けながらもいつもの調子で受け答えする春栄に俺は笑った。
ちらりと時計を確認して、そのまま二度寝に入った春栄を放置して俺は起き上がった。こいつはきっと起きたら今のやり取りも忘れているんだろう。

「おはようございます、悠丞さん」
洗面所で背中から甲高い声をかけられ、顔を拭いながら振り向いた。
「おはよう・・・今日は元気だな」
「はい」
空太はやたらニコニコしている。
「夢見が良かったので」
「へぇ、よかったじゃないか」
またエロい夢でも見たんだろうか。・・・結構マセてんのかな、こいつ。
「はい、とっても」
「でもなんか顔色悪くないか?」
「いえ? 体調も良いですけど」
「そうか? ならいいけど」
気のせいかな。
「そう言えば悠丞さん、今日は外出日でしたっけ」
先ほどの嫌な夢を思い出した。そう言えば今日は本当に町へ下りる予定だった。
「ああ、なんか買ってくるものとかあるか?」
「いえ、別に。ゆっくりしてきてください」
「ああ、ありがとう」
そういや春栄に今日発売のCD買ってこいって言われてたんだ・・・なんだっけな。確かブギーだかジャックだかって。

朝飯を終えると、俺はお師様に声をかけた。ところがお師様は顔をしかめた。
「・・・お前も今日だったか?」
「え? も、って・・・」
「いや、私も今日明日出かけるんだ。私は仕事だが」
話を聞くと仕事というかボランティアらしい。知り合いから相談されて、妖怪退治だか何だか。
「お前はしっかりしてるから、今日は残っていて欲しかったんだがなぁ」
お師様にそう言われるのは嬉しかったが、俺も今日は外せないんだ。
「大丈夫ですよ、」
あの馬鹿はともかく、
「天太さんも居ますし」
「天太か・・・まぁ、うん、そうなんだがなぁ」
お師様はなんだか納得いかないような顔だったが、結局は俺の外出を許してくれた。

いつもの駅前の待ち合わせ場所に着いたが、やはりいつもの通りに待ちぼうけを喰らうことになった。
予想していたので腹が立つこともなく、俺はベンチに座って文庫本を開いた。
すると今日は意外に早く彼女が姿を見せた。
「待った?」
「ううん、今来た」
今日はホント。
彼女の様子が何かいつもと違うことに気付いていた。何かを言いたそうに、言いづらそうにしている気がした。
「とりあえず、お茶する?」
「うん」

喫茶店でお茶を飲む間も、ランチにパスタを食べている間も、彼女の意識は上の空という塩梅で、そのくせ俺の顔をじぃっと見つめてくるのだ。
こんな具合で、まさかホテルに誘うわけにもいかず困り果てていたら、春栄からの依頼を思い出した。
「そうだ、CD買ってきてくれって頼まれてたんだ」
春栄から聞いたバンドの名前を出したが、彼女は首を傾げて、
「誰それ」
俺だって知らない。

駅前のタワレコで、探し回る羽目になるのかと思っていたが、意外にもそのバンドの特設コーナーがあった。
俺達が知らないだけで案外有名なのか?
試聴機があったので、どんなものかと早速ヘッドフォンをつけて、彼女にも勧める。
いくつかあったタイトルから、直感で一曲を選び再生ボタンを押す。歌詞カードを彼女に渡した。
タイトルから想像したものとは真逆の、ジャカジャカと喧しいギターと軽快なドラムが、のっけから飛び出した。
遅れて聞こえてきたボーカルは、掠れた高音の男声。歌が上手いという感じでもなく、学生サークルといった雰囲気もある。
だが激しい曲調とは裏腹に、詞は酷いくらいに叙情的で、俺はしばらく作詞者の世界に入り込んでいた。
その時、隣の彼女が何か言った気がした。
「えっ?」
見ると、彼女はヘッドフォンを外してこちらを見ていた。
俺もヘッドフォンを外した。

***

神社に帰りついたのは、すっかり日も落ちた後だった。
勝手口から入ると春栄が流しで洗い物をしていた。
「遅かったじゃん。ゆっくりお楽しみデスカ?」
「まぁな」
「へぇ・・・良かったな」
含みのあるような言い方をしてくるが、俺は、
「まぁな」
春栄はなぜかじぃっと見つめてくる。なんだよ、コイツ。視線が痛い。
「メシは?」
「食べてきた」
本当は食べていないが、腹は減っていなかった。食べる気分でもない。
「アレ、CD買ってきたから。部屋に置いとくな」
「え? あぁ、そうだった。サンクス」
忘れてたのか。
「風呂入れよ。お前最後だから」
「うん」

風呂から上がって部屋に戻ると、春栄はまだ布団も敷かずにCDを聴いていた。
自宅から自分で持ってきたミニコンポにイヤフォンを繋いで、小さく揺れる身体がリズムを刻んでいる。
俺に気づくと顔を上げてイヤフォンを外した。
「ふられた?」
「な、」
いきなりズバリと来た。すっとぼけようかと思ったが、既に顔に出てしまったようで、春栄がニヤニヤし始めた。
俺は諦めてどかっと腰を下ろした。
「・・・開口一番それかよ、フツー? 気づいたってんなら他に何か言いようがあるだろ。それとなく慰めるとか」
「慰めて欲しいんか」
「いや、結構。気持ち悪いし」
「だな。俺も嫌だ」
春栄はコンポの電源を切ると立ち上がり、
「よし、飲もう」
「飲むって何を?」
「アホか。飲むっつったら酒に決まってるだろ。アルコールだよ、アルコホール」
「未成年だ」
「硬いこと言うな」
「大体酒なんかどこにあるんだ。料理酒とか勘弁だぜ」
俺が尋ねると、春栄はニヒヒと笑った。

まさかとは思ったが、春栄が言った通りの場所に確かに焼酎の瓶があった。
「時々師匠がこっそり晩酌してるんだ」
それは知らなかった。
「それをお前は時々拝借してるのか」
「してないしてない。俺そんな悪くないし」
ひらひらと手を振る様は、本当なのかどうなのか怪しいものだ。
「あ、言っとくけど、その棚漁ったのも瓶見つけたのも俺じゃなくてお前な」
「てめぇ・・・」
俺は瓶を差し出して春栄に無理やり押し付けた。
「これでお前も共犯な」
春栄はニヤニヤしながら、
「わかってるよ。当たり前じゃん。俺らトモダチじゃん?」
妙に軽い調子でそんなこと言ってくるのがムカつく。

ボトルとグラスに氷を持って部屋へ戻ると、春栄はミニテーブルにそれをゴトッと置き、自分も腰を下ろした。
俺に向かいの席を顎で促すから、俺も溜め息吐きながらそこへ座る。
焼酎は芋だ。勿論、呑んだことは無い。美味いのか?
春栄は冷えたグラスに焼酎を注ぐ・・・トクトク、いい音がする・・・トクトクトクトクt――
「おいっ、入れすぎだろ」
「まずはロックでぐいっと。なんだろ?」
「同意を求めるな。知るか」
氷がカランと乾いた音を立てて崩れた。
「んじゃとりあえず乾杯するか」
「空気読めコノヤロウ」
俺は、失恋の痛手と闘っている真っ最中だと言うに。だが春栄は俺の言葉を全く無視して、
「悠丞くん失恋記念日オメデトォ」
「をい・・・」
勝手にグラスを合わせてカツンと鳴らし、ぐいっと呷り・・・ぶっ、と噴き出した。
「き、きったねぇなバカヤロウ!」
「マズッ・・・ナニコレ、何で師匠こんなの美味そうに飲んでんの!?」
「知るかっ」
怒鳴って一発殴ると、春栄は頭を撫でながらグラスにミネラルウォーターを入れていく。
「ロックで一杯はどうなった」
「無理しちゃいけないよ。酒は呑んでも飲まれるな、だから」
マジで腹が立ってきた・・・。
俺も試しにひと口飲んでみる。喉がかぁっと熱くなり、鼻に何とも言えない香りが・・・。
「・・・美味い」
「えええ。お前、おかしいんじゃね?」
「大人なだけだ」
「くっ・・・」
悔しそうに水割りを呷る春栄。
「で? なんでふられたん?」
このやろ・・・いきなりぐさぐさ刺してきやがる。
「・・・いきなりだ。いきなり、もう好きじゃないって言われた」
「うわー何それー痛いー」
痛いのは俺だ。
「他に男でも出来たのかね」
「うわ、痛い。痛いからヤメロバカヤロウ」
俺は春栄の首を掴んで揺さぶりながら喚いた。
「そりゃな、月に一回会えるか会えないかの付き合いじゃ、こんな風になっても仕方ないってどっかで思ってたけど。
ってかそもそも月に一回会えないかもしれないのに付き合ってるなんて言えるのかどうかも怪しかったけど」
「けど、好きだったんだろ」
この・・・やろぉ・・・。
「俺だって、好きで好きになったんじゃない」
「あら、逆説的」
「中学の時からの付き合いで、なんかもう、一緒に居るのが当たり前、っていうヤツだった。
俺だってずっと不安だった・・・でも、わかり合えてると思ってた・・・なのに、なんで、こんな、急に・・・」
最後は殆ど泣き言のようになっていた。辛うじて泣いていない自分を褒めてやりたいくらいだ。
春栄が憐れむような目で俺を見つめてくるから、俺はつい、睨み返してしまう。
「何だよ・・・その目」
「いや、可哀想だな、って思って」
その言葉で俺は一気に頭に血が上り、俺はまた・・・今度は本気で、春栄に掴みかかっていた。
「ぐ、ぇっ・・・」
「いっつもヘラヘラ笑いやがって・・・どうせお前に、俺のことなんか・・・」
八つ当たりだ。コレは。それでも自分を止められずに力ばかり込めてしまう。
春栄が開いた手でバシバシと畳を叩いているのを見て、ハッとして、ギブアップを認めて離してやる。
はぁはぁと息を整えている春栄を見て、徐々に申し訳なさが勝り始める。
「あ、の・・・春栄・・・」
「お前の、気持ちは・・・わかんねぇけど・・・」
涙の浮かんだ目で俺を見つめてくる。相変わらず憐れむような目をしている。けど、
「お前を慰めたいって思うのは、傲慢なのか」
「・・・。」
「お前はいい男だって、俺は思うよ。毎日、家族みたいに一緒に居るんだから」
「な、何・・・いきなり、恥ずかしいこと・・・」
「お前みたいなヤツをふった女が馬鹿で可哀想って言ってんだ。勿体ないよな」
「も、もういい・・・いいよ・・・」
俺はきまりが悪くなり、グラスを呷る。
「・・・ありがとう」
「そうだよそれが普通の反応だよ! なのになんで首絞められなきゃなんねぇんだ!?」
「ご、ごめん、うん、ありがとう」
思えば俺のために、俺を慰めるために、不味いと言いながら酒を一緒に呑んでくれている。
悪いことと思いながら師匠の酒をくすねて。
俺の方も、もう少し感謝というか、気遣ってやらないと――
「お前結局、童貞のままなんか」
「・・・てめぇ」
あぶねぇ、気を許しかけた。
「だったらなんだよ。悪いか」
「別に、俺だってそうだし」
「だったら言うなよ」
「残念だったな。そろそろって感じだったんじゃねぇの?」
「下品、下劣」
「えー、そう? 男なんて結局ソコじゃん、大事なの」
そこ、って言いながら春栄は俺の股間を指差す・・・下品。
「男でもいいなら俺が相手してやっけど」
「冗談。勘弁してくれ」
「そっか・・・」
なんかちょっと残念そうに俯く春栄に、俺は笑った。

俺達は強かに酔っ払い、気づくと瓶は殆ど空になっていた。もはやお師様への言い訳も立たない。
春栄は大の字になって畳の上で寝ている・・・俺はふらふらしながら布団を敷いた。
「おい・・・布団で寝ろよ。あと、歯を磨け」
「っせぇなぁ・・・あー、きもちー・・・」
酔っ払いだ。完全に。俺は春栄の腕を掴んで布団の上へ引っ張った。
枕を頭の下に入れてやると、春栄は目を開いて俺のことを見つめた。
「俺の代わりに歯ぁ磨いてきてー」
「また・・・わけのわからないことを・・・うわっ!」
春栄が腕を掴んで引っ張り、俺はよろめいて布団の上へ、春栄の隣に倒れた。
「いてて・・・」
「おやすみ、悠丞」
「は・・・」
ぎゅっ・・・とシャツの裾を握ってくる。
「お前、ちょ・・・」
「おやすみ・・・」
言うが早いか、寝息を立て始める。それでも俺のシャツを握り締めたままだ。
その寝顔には邪気が無く、普段見せている悪戯っぽいところも無い・・・きれいな寝顔だった。
「・・・ハァ」
俺はまた溜め息を吐いてから、天井の電灯から垂らしている紐を引っ張った。パチ、と灯りが消える。
「おやすみ」
こいつの寝息を聞きながら寝るのにも、慣れているし。

「悠丞さん」

枕元からの甲高い声に、俺は薄く目を開いた。
見ると、薄暗い中に空太が座って、俺のことを見下ろしている。
「ん・・・どうした?」
外を見た感じ、まだ夜中のようだ。時計は・・・午前4時44分を指している・・・嫌な感じだ。
身体にはまだふわふわとした酔いが残っており、頭が重いような感じがする。
「春栄さんと同じ布団で寝てたんですか」
「え? あ、あぁ、これは・・・酔ってたから」
俺は苦笑いしながら頭を掻いた。
「お酒飲んだんですか・・・何か、あったんですか」
「うん、まぁ・・・ちょっとな」
空太はまだ子供だ。俺の面倒臭い話を聞かせるのは可哀想だ。
「知ってますよ・・・ふられちゃったんでしょ?」
「・・・え?」
空太は俺のことを見下ろしながら・・・笑っていた。笑って・・・?
「・・・可哀想に」
空太のその言葉は、普段のこいつからは考えられないようなもので、それに春栄のそれともニュアンスが違った。
空太は本当に、俺を、憐れんでいた。
「貴方はいい人なのに、馬鹿な女を選ぶから報われない」
空太の子供っぽくてかわいらしい言動はどこへ消えたのか、大人のような口を利く。
・・・あぁ、そうか。なんだ。
「そう、これは夢ですよ」
「だからお前、そんな生意気なのか」
「生意気、ですか? でも悠丞さんは、生意気な方が好きでしょ? その、春栄さんみたいに」
「は?」
俺は隣で寝る春栄に目を遣る。相変わらず呑気な寝息を響かせている。
「俺がこいつを好き、だって?」
「あれ、違ったんですか? 少なくとも、春栄さんは貴方のことが大好きみたいですけど」
「な・・・何言ってんだよ」
夢のくせに、変なことを言いやがる。
「だって、見てればわかりますよ。貴方に構って欲しくて、いつも馬鹿なことを言う。
貴方に怒って欲しくて、からかってばかりいる。それに応える貴方も、とても楽しそうに見えたのに」
「俺は、別に・・・」
でも・・・春栄が、俺のこと・・・?
夢の中だと言うのに、変な印象を与えないで欲しい。目覚めてから支障が出るだろう。
「だからって、俺は・・・」
「さっきのこと、気づいてました? 自分が相手してもいい、って言ったんですよ、春栄さんは」
確かに、言った・・・でもあんなの、ただの冗談で・・・。
「あれ、本気ですよ」
「・・・まさか」
「そう思いますか?」
試すような視線を向けてくる。
「貴方に縋るようにして眠りに就いたこの人を、貴方はどう思いましたか。気持ち悪いと思いましたか?」
「そんなことは無い」
「じゃあ・・・」
にやり、と空太は笑った。
「受け入れてもいい、と思えましたか・・・?」
その顔を見た瞬間、ぞくっと背中が寒くなった。
同時に、ほんの僅か・・・俺の股間が、びくっと疼いた。
それを見抜いたかのように、空太はまた笑う。
空太がゆっくり、身をかがめてくる・・・俺の身体に覆い被さるようにする。
普段の幼い彼の仕種ならば、それはただ甘えているだけのもの・・・だけど、今は違った。
「悠丞さん・・・」
空太の身体はいやに冷たく、だけど妙に艶かしく俺の身体に絡まってくる。
「そ、空太・・・何の心算だ・・・」
「いやだなぁ・・・コレは、夢ですよ?」
あぁ、そうだった・・・これは、夢だ・・・。
「夢ならば、いっそ思う存分楽しめと言ったのは、悠丞さん、貴方ですよ」
「何を、楽しめって・・・?」
空太は俺の耳に口を近づけ、
「春栄さんとする、予行演習ですよ」
「・・・何を言ってるんだ?」
俺が、春栄と、何をするって?
「初心なふりはやめてくださいよ。頭の中は女とのあれやこれやで一杯じゃないですか」
まるで俺の頭の中を覗いてきたかのようなことを言う。
「春栄さんの頭の中も、似たようなことで一杯ですよ・・・ただ、相手は女じゃなく、貴方ですけど」
「まだ言ってるのか。馬鹿なこと――」
「本当に、気づいていないんですか?」
空太は心底不思議という顔をして、俺のことを嘲笑う。
「なら、少しだけ、見せてあげましょう・・・

――あぁ、あ゛―・・・
――春栄・・・
――悠丞ぉ・・・俺、もう・・・
――あぁ、俺も・・・もう・・・出そうだ・・・
――じゃあ、一緒に・・・
――うん・・・あ・・・ッ!
――あぁぁぁ・・・!

「ッ・・・!?」
不意に頭の中に浮かんだ映像に、俺は身を起こ・・・そうとした。
だが、身体はピクリとも動かない。そう言えばさっきから、布団に寝たまま、起き上がれない。
全身からは汗が噴出し、いつの間にか息も上がっている。
「い、今の、は・・・?」
「今、春栄さんが見ている夢の中ですよ」
「馬鹿な・・・そんなわけ――」
「受け入れてあげましょうよ。じゃないと、可哀想ですよ。こんなにも貴方のことを思ってるのに」
空太は俺の身体を撫で回してくる。
・・・冷たい手で撫でられたところが、妙に火照り始める。
「いいじゃないですか。どうせ夢の中のことです。彼が何を思おうと、貴方が何をしようと、誰に迷惑をかけるわけでもない」
「それは・・・そうだが・・・」
「ほら・・・」
空太の手が、寝巻き越しに俺の股間を撫でた。
途端にそこはびくびくと脈打ち、俺の意思とは関係無く硬く張り詰めていく。
「な・・・なんだ、これは・・・」
「だから・・・夢、ですよ」
硬くなったそこは、逆に俺の意思を支配しようとする・・・びくびくと脈打つ快感を脳天に送り込んでくる。
「んっ・・・は・・・」
「ほらほら、我慢しないでください・・・想像してみてくださいよ」
空太は俺の身体を余すところ無く撫で回しながら、顔に息を吐きかけるように囁く。
「見てください、春栄さんの顔・・・かわいらしいじゃないですか」
俺の顔は勝手に春栄の方を向き、その顔を見つめてしまう。
確かに、男にしては・・・かわいい・・・?
「猫みたいに柔らかい髪で、家鴨みたいな口して・・・あの口で、されてみたいと思いませんか」
「されるって、何を・・・」
「わかってるくせに・・・これですよ」
空太はいつの間にか俺の股間に顔を近づけて、ズボンを下ろそうとしていた。
「ちょっ・・・あっ・・・」
止めるより早く。空太は俺のいきり立ったものを取り出して、口に含んだ。
「んっ・・・」
くちゅくちゅといやらしい音を、おそらく態と立てながら、俺のことを見上げている。
「そ、空太・・・ぁっ・・・」
俺のものは俺の意思とは関係なく、ビクビクと勝手に震えている。
それを空太は嬉しそうに咥えこんで、余すところ無く嘗め回す。
その光景はひどく扇情的で、浮世離れしているのに、しかしその感覚はとても生々しかった。

ひとしきり俺のものを堪能した後で、空太は口を離して、俺に顔を近づけてきた。
俺は荒い息を吐きながら、空太の顔を間近に見つめた。
「気持ちいいでしょ?」
いつも通りに無邪気な笑みを浮かべて、空太は言ってくる。
俺は、無意識に頷いていた。だって、気持ちいいんだ。とても・・・。
「男同士って、どうやってするか、知ってますか・・・」
知っている・・・とは言えないが、何となくわかる。
「彼女とできなくて残念でしたね・・・でも、春栄さんがしてくれるんですよ・・・」
空太は俺の首筋に舌を這わせてくる・・・熱くて滑る感触に、俺は身を捩る。
「その前に、僕が、やり方を教えてあげます・・・」
空太は俺の身体に自らを擦りつけるようにして下へと滑らせると、俺の股間に跨るようにして身を起こした。
「ココにね、コレをね、入れるんですよ」
空太の表情はどこかうっとりとしている。
「すっごく・・・気持ちいいんですよ・・・」
その様に、俺もどこかで期待してしまう。喉がごくりと鳴る。
「それじゃあ・・・入れますよ・・・」
空太は俺のものに手を添えると、自分の尻の穴にあてがうようにして、ゆっくり腰を下ろした。
ずぶ・・・と、先が柔らかくて狭いものに押し付けられる。
「うぁ・・・」
空太が喘ぐ。俺は・・・声も出ない。
俺の者が、一瞬のうちに、熱くて柔らかいものに包まれた。
それが蠢くように俺のものを弄び、俺は喘ぐよりもむしろ、歯を食いしばって快感に耐えた。
「我慢・・・しなくて、いいですよ・・・」
空太はゆっくり腰を動かし始める。
「思いっきり声出していいんですよ・・・どうせこれは夢の中。春栄さんも起きやしません」
「ぐ・・・はぁ・・・ぁっ」
空太の動きは徐々に激しくなる。俺の腹の上でまるで踊るように、腰を振った。
「はぁっ、あっ、あっ・・・悠、丞・・・さんっ・・・」
涎を飛ばしながら喘ぐその様はいやらしく、それを見ていると、俺の心まで徐々に煽られてくる。
俺は、いつの間にか、自ら腰を動かし始めていた。
気持ちが良かった。たまらなかった。俺は加速しながら自ら快を貪った。
「あぁん・・・もっと・・・ついて・・・ッ」
「はっ、はっ、はっ・・・」
ケモノのようだと思った。空太も、俺も・・・。
「春栄さんのことを、悦ばせていると思ってみてください・・・」
俺は隣で未だ眠ったままの彼を見下ろした。
春栄・・・あぁ、春栄・・・。
「ふふ・・・いい顔ですよ、悠丞さん・・・快楽に狂った顔・・・」
狂った・・・? 俺は・・・俺は、狂ってなんて・・・。
「ほら、もっと腰を振って・・・」
「はぁっ、はぁっ・・・!」
「もっともっと、ほら、乳首触ってあげましょうか・・・」
空太は俺の胸に手を伸ばし、硬くなっている乳首をこりこりと弄った。
「んっ、あぁっ・・・ああああ・・・!」
「さぁ・・・僕の中に、出してください・・・たっぷりと・・・」
俺は猛烈に腰を振った。俺の中で、予感が高まっていく。
「出しちゃえば、貴方も僕と同じ・・・ほら、早く・・・」
空太の言っていることは意味がわからなかった。
だが、俺はもう自分でも、自分の動きを、欲望を止めることができなかった。
空太の身体を突き破るような勢いで、俺は彼の小さい身体へ向かって腰を打ちつけた。
やがて、限界が近づく・・・。
「あぁっ、いくっ・・・いくいくいく・・・ッ!」
俺は、空太の中へ、欲望の塊をどくどくと吐き出した。
「あぁ、熱い・・・熱いよぉ、悠丞さん・・・」
空太は身体を折り曲げて俺に重なると、唇を合わせてきた。
俺はまだ股間をびくびくと脈打たせながら、夢中で空太の唇を貪った。
それは柔らかく、艶かしく、けれど・・・冷たかった・・・。
俺は自分の仲が空っぽになるほど絞り出してから、腰の動きを止めた。
「はぁ、はぁ・・・」
整わない息を静めようともがく俺に、空太は微笑んだ。
「さぁ・・・もうおやすみなさい・・・」
猛烈な眠気が俺を襲う・・・それは、不気味な恐怖を伴っていた。
今寝たら、このままもう二度と、目が覚めないんじゃないだろうか――
「大丈夫、怖がらないで・・・もうすぐ、貴方も・・・」
もうすぐ、俺も・・・?
空太の笑みが暗闇の中に消えていく・・・俺は、睡魔に呑まれた・・・。

***

妙にすっきりと目が覚めた。
身体がふわふわと軽いような気がした。
「ん・・・」
隣で、春栄がみじろぎした。俺は寝転んだまま、その横顔を見る。
どくんと、心臓が・・・鳴った気がした。
俺のものが、びくりと反応した。
俺はその顔に、ゆっくりと顔を近づけた。
理由もなく目が覚めた。もっとも、目が覚めることに理由がある方が珍しいか。
部屋はまだ真っ暗だったが、すぐ鼻先に何かの気配を感じた気がして目を凝らす。
その正体に気が付いた瞬間、俺は身体を大きく捻って、それの接近を回避した。
「ななな何やってんだお前っ!?」
避けられた悠丞は、意外な反応をされたとでも言いたげに眉をひそめた。
「何って・・・キス」
「き・・・」
俺は言葉を失ったが、心臓だけは馬鹿みたいに早鐘を打っていた。
「なんで避けるんだよ」
「起き抜けにいきなりき、き、キスなんてされそうになってたら誰だってびびって避ける」
「そうか? 俺はてっきり、お前なら避けないと思ったんだけど」
今度は心臓まで止まりそうなくらい驚いた。いや、実際一瞬止まったかも。
「なに言ってんだよ・・・寝惚けてんじゃねぇぞ」
俺は逃げるように部屋を出た。

「おはよう」
顔を洗っていると声をかけられた。振り向くと天太が笑っている。
「うっす・・・なんだよ朝からニヤニヤして」
「いや、ちょっといいことあったから」
「ふぅん・・・やめた方がいいぜ、その顔。気色悪い」
天太は苦笑して、
「そっちは機嫌悪そうだな」
「悪くもなるって。朝っぱらからあんな目に遭ったら」
先ほどの出来事を話してやると、天太までもが意外そうな顔をした。
「なんで嫌なんだ」
「なんでって、当たり前だろ」
「いや、だってお前なら嫌がらないかと思って」
「はぁ?」
「むしろ喜ぶんじゃないかと思ってさ。だってお前、」
天太はそこで態とらしく一拍空けてから、さらりと言って退けた。

「悠丞のこと好きだろう?」

今日、俺の心臓はこれ以上保ちそうにない。

***

高原家は名門。優秀な退魔師を数多く輩出してきた。
だが、名門に生まれついた人間がみんな才に溢れているわけじゃあない。
俺の周りはみんな、父母も、祖父母も、叔父叔母も伯父伯母も才能に恵まれていた。勿論、姉達も。
だが、俺だけは。

物心ついた頃、周りの友達の目には映らない何かが、自分には見えていることに気が付いた。
そのことを伝えると、父はそれが姉達の誰よりも早いことだと喜んだが、母はそんなことは当たり前だと憤った。
それ以来、十年以上もの間、修行だの何だのという名目で、母や姉達にあちこち連れ回されてきた。
山に篭ったり、断食をしたり、時にはマジで滝に打たれたりということもあった。
けれど、俺の才能は伸びなかった。まったく、と言って差し支えないほどに。
スタートだけは良かった。誰より早かった。その分、その後の失速に周囲は落胆した。
そのことについて、俺自身は楽天的だった。ダメならダメで、他にどうとでもなるだろうと思っていた。
だけど周りは違った。この家に生まれた以上、そんなことは許されない、らしい。
特に母と姉達は躍起になって俺をしごいたけど、結果は変わらなかった。
その熱も長くは続かなかった。皆は、俺を見放した。母からは蔑ろにされるようになり、姉達からは虐めか奴隷かという扱いを受けるようになった。
ただひとり、父だけは俺に優しかった。入り婿で肩身の狭い思いをしていたからだろうか。

そして俺が中学に上がる少し前、決定的な事件が起こった。
一番上の姉、当時大学四年だった姉に、レイプ紛いのことをされた。いや、されかかった。
俺は小さいなりに必死で抵抗して、その場から逃げ出したが、その記憶だけは強烈に残った。
姉が何を考えてそんなことをしたのか知らない。交わりをすることも修行の一つだとか何とか言っていたが、本当のところはわからない。
以来、俺は姉達に怯えて過ごすようになった。
その傾向は中学に上がるとますます強くなり、同年代の女子さえだんだん恐ろしく感じるようになった。
何度か同級生の女子から告白を受けたが、とてもではないが、付き合うようなことはできそうになかった。
女が嫌いなんじゃない。ただ、恐い。

自然と俺の周りには男友達ばかりになった。
その環境は俺に合っていたようで、毎日が本当に楽しかった。腹を割って話せるような仲間も何人かできた。
だが、ある時不意に感じた。
彼らが俺に向けている友情以上のものを、俺は彼らに向けていた。そして、同じだけの気持ちを返して貰いたがっていた。
その感情が意味するところに薄々気が付きながら、それに蓋をして過ごさなければならなかった。
けれどその感情は日々強く、大きくなり・・・とても苦しい生活だった。

俺は次第に、ある一人の友達のことを、他とはまた違う特別な目で見るようになった。
優しく、快活で、誰よりも男らしいヤツだった。訳もなく、いつの間にか、惹かれていた。
その気持ちを自分で肯定してしまえたのは、卒業も間近に迫った頃、そいつが遠くの国立大の受験を決めた後だった。
俺はまだ進路も決めずに無為に過ごしていた。あの家を出たかったが、家業を離れられるわけがないことはそれまでの生活から悟っていた。
勿論、そいつと同じ大学を受けたところで、逆立ちしても受かりっこないことも理解していた。
自分でも止められなくて、どうしようもなくて、俺は慣れ親しんだそいつの家を訪ねた。

吐きそうなほど緊張して、気持ちを吐き出した俺に、そいつは・・・初めて見せる冷たい目で俺を見た。
得体の知れないものに目を凝らすような・・・思い出したくもないのに、今でも忘れられない顔だ。
そいつは、冷たく、残酷な、悲しい言葉で俺を突き放した。これ以上は無いというほどの、決定的な拒絶だった。
それまで、どんな打ち明け話にも親身になって耳を傾けてくれた。
だから、受け入れてはもらえなくとも、理解はしてもらえると、心のどこかで思っていた。
だけど、違った。単純に、彼には理解不能だったのだろう。
俺がフェミノフォビアであるのと同じように、彼はホモフォビアで、それはどうしようもないのだ。
以来、そいつの態度は急変した。
仲間内でリーダー格だったそいつの行動はあっという間に伝播して、数日後には、教室に俺の居場所がなくなっていた。
それでも、そいつや皆を憎く思ったりはしなかった。ただ悲しくて、痛かった。

俺は分かりやすく落ち込んでいった。
そんな俺に相変わらず優しいのは、今度こそ父だけになった。

ある夜、父と二人で話をした。家のことや、将来のことを話した。そういう時間はそれまでにも何度かあった。
その夜の父は珍しくたくさん酒を飲んでおり、内緒だぞ、と言いながら俺にも勧めてきた。
俺にとっては初めての酒で、軽く飲んだだけで酔っ払ってしまって、舟を漕ぎかけていた。

うとうとしていた俺は、何か温かいものに包まれているような感触で目を覚ました。
目を開くと、なぜか裸の父が、なぜか俺の身体の上に居て、俺のことを抱きしめていた。
――親父?
声をかけると、切なそうな目を俺に向けて、唇を重ねてきた。
小さい頃には、父に口移しで物を食わせてもらったりしていたような気がする。
そう考えると、大しておかしな感じはしなかった。
気づくと俺もいつの間にか裸にされていて、父の肌と直接に触れ合っていた。
その感触も、幼い頃には感じていたはずのもので、嫌な感じではなかった。
父は、俺の身体のあちこちに触れ、唇を這わせた。その一つ一つが、俺の身体に熱を持たせた。
父のそれが俺の中に入った時、痛みは無かった。
むしろ父の方が苦しげに顔を歪め、俺はただその熱と固さに応えるように喘いだ。
親子だからか何なのか、俺のそこと父のそれはよく馴染むようで、俺達は次第に獣じみた声で吼えるように喘いでいた。
やがて俺の中に熱いものが拡がり、父は力尽きたように俺の上に倒れた。
――親父・・・
再び呼びかけると、父はハッと顔を上げ、ようやく正気に戻ったというように俺から目を逸らした。
すぐに逃げるように立ち上がって、ふらつきながら部屋を出て行った。

それから、親父までが、俺を避けるような態度を取り始めた。気まずかったのだろう。
自分から俺を求めておいて、この態度。酷いものだと、そう思った。
けれど、やっぱり、親父のことも憎んだり出来なかった。俺は親父が大好きだった。
でも、どうにしろ、今度こそ俺の居場所が何所にもなくなったような気がした。

逃げるように家を出ることを決め、冷水神社へとやって来た。
あのまま普通の世界で暮らしていても、俺は自分がどんどんおかしくなっていくような気がしていた。
いつか、取り返しのつかないことをしでかして、それこそ、この世に生きていけなくなってしまうんじゃないか・・・。
だからここへ来た。世間から離れて、ひっそりと生きていくのが、俺には合っているのかもしれなかった。
けれど・・・だめだった。あいつが居た。
あいつは、彼に・・・俺をどうしようも無くさせてしまった彼に、どこか似ていた。
優しく、おおらかで、身体もでかくて、何もかも許してくれそうな・・・。

けれど、今度こそは、と思って、俺は耐えた。何もかもを押し殺して。
そうしてここで暮らしていくことに決めたのだ。

「俺が? 悠丞を? なんだって?」
「好きだろ、って。違ったか?」
「違うとか違わないとか、そういうことじゃねぇだろ。馬鹿なこと言うな」
「そう? ふぅん」
天太は俺をからかうような視線を残して、洗面所を去った。
俺はまだ心臓がどきどきと五月蝿かった。
俺って、そんなにわかりやすい行動してるか・・・?
まさか・・・さっきのあれ・・・悠丞にまでバレてるんじゃないだろうな・・・。

この神社へ来てすぐ、あいつに出会って、それ以来ずっと気になって仕方が無かった。
けれど、それを表面に出したことはないはずだ・・・たぶん。
別に、バレたからどうってことはないさ・・・そうなったらなったで、俺はまた・・・。

「春栄」

聞きたいけど聞きたくない声に振り返ると、悠丞がいつも通りの柔和な笑みを浮かべて俺を見ていた。
俺は視線を泳がせながら、何を言ったものかと頭を巡らせる。
「朝飯当番だろ、お前」
「あ、あぁ、うん」
「手伝うよ」
「え・・・あ、あぁ・・・」
俺が食事当番の時は、悠丞がちょくちょく手伝ってくれている。
が、今日はなんだか気まずいような気がして、こちらからは声をかけなかった。それどころじゃなかった。
「どうしたんだよ、今朝からおかしいぞ?」
おかしいのはてめぇだっ。
「別に・・・どうもしないよ」
「そうか? ならいいけど」
よくねぇよっ。

俺達は並んで台所に立ったが、俺は気も漫ろ、いつも以上に手許が危ないのが自分でもわかった。
それを見かねた様子で、悠丞が俺の傍へ寄ってきた。俺は余計にたじろいで、
「な、何だよ・・・」
「危なっかしくて見てられないよ。俺が教えてやるから」
そう言うと、悠丞は俺の背後に回って、俺を抱え込むように腕を回してきた。
「ひぁっ・・・な、何すんだっ」
「何ってだから、教えてやるってば」
悠丞は俺の耳に口を寄せて、
「手取り足取り、な」
ぐびっ、と俺の喉が鳴った。悠丞の熱い息が間近に感じられる。
悠丞は包丁を握った俺の手に手を重ねて、俺の手を操ってトマトを切る。
「こ、これくらいできるって・・・」
「いいから、ほら、見てみろよ」
ぐちゅっ、と押し潰すように切られたトマトから、ゼリー状の果肉がどろどろと流れる。
「よっく熟れてるなぁ。ぐちゅぐちゅどろどろだ」
悠丞の言葉の一つ一つが淫語のように聞こえてきてしまう。それともこいつ、態と・・・?
「ほら、次は胡瓜だ。切る前に塩もみして板摺りするんだ」
悠丞は俺の手を取り、塩を握らせると、胡瓜を持ってごしごしと擦らせた。
「硬いなぁ・・・でかくて太くて反り返って、いぼいぼがあって、立派だなぁ・・・なぁ?」
「あ、う、うん・・・」
悠丞に促されるまま胡瓜をごしごしと擦っていると、なんだか・・・妙な気分になってくる。
それに、さっきから・・・腰に、何か当たっているような・・・。
「も、もう、大丈夫だから」
「そうか? 別にいいぞ」
「いいからっ」
俺はケツを突き出すようにして悠丞を突き飛ばした。
が、悠丞は俺のその腰を掴んで、ぐいと引き寄せる。
「うぉっ!?」
胡瓜がごとりと俎板の上へ落ちる。
「なななにしやがんだ、バカッ!?」
振り返ると、悠丞は悦に入った様子で、俺のケツに股間を押し付けている。
腰に当たっていた硬いものの感触がよりはっきりとする。
「嫌じゃないんだろ?」
「な・・・に、言って――」
「経験あるんじゃないのか?」
びくっ、と身体が引き攣る。
「お前、なんで」
「なんで知ってるのか、か。そんなの決まってるじゃないか」
悠丞はさも当然という顔で頷くと、俺の腰を撫で回しながら続けた。
「これが夢だから、だよ」
「夢」
「そう。第一、考えてもみろ。いや、考えなくともわかるだろう。俺がお前にこんなことするわけないだろうが」
いや、実際にしながらそんなこと言われても。
しかし、待て、じゃあ、
「どこから夢だって言うんだよ」
「最初っからさ。お前はまだ寝てるんだ」
まだ寝てる・・・じゃあ、寝起きのあの奇襲も、夢だった・・・?
「・・・なんだ」
「そう。なんだ、って感じだろ」
悠丞は俺の前に腕を回して身体を撫で回してくる。
俺は強張っていた身体をゆっくり弛緩させていく、が、まだやはり少し緊張する。
「夢なら好きなようにすればいい、って、空太に言ったのはお前だろう」
「ああ、言った・・・けど、そうは言っても、」
どぎまぎして言い訳してしまう俺に、悠丞は小さく耳元で囁く。
「空太みたいな素直さが必要だぞ・・・仕方ないなぁ、」

ぺろっ

「ひぁっ」
俺の耳たぶをからかうようにひと舐めしてから、
「俺が素直にさせてやるよ、」

ぺろっ

「んっ・・・」
「身体も、心もさ」

そんな風に言われてから、五分も経っただろうか、俺は炊事場の土間の上で悠丞に組み伏せられていた。
俺自身、もはや抵抗の気力は無く、ただ悠丞のしたい儘、身体を明け渡してしまっていた。
これが夢か現か、そんなことは既に気にならなくなっていた。
ただ、この悠丞は、今俺の身体に舌を這わせている悠丞は、確かに俺が何度も妄想に描いた彼だった。
洒落ではなく、俺は確かにこういう状況を夢見ていたのだ。
ただ、想像とは決定的に違う点が一つだけある。
悠丞の大きな身体は、艶かしい舌は、氷のように冷たかった。夢だから、なのだろうが・・・。
「んっ」
「どうした・・・寒いか?」
心配げに顔を覗き込んでくる悠丞に首を振り、キスで返した。
実際、土間の上だというのに寒くは無い。
不思議と、悠丞に撫でられ、舐められしたところが、順番に熱を持っていく。今や、身体の隅から隅まで熱く火照っていた。
不意に腕を引っ張られ、俺は身体を起こした。
久しぶりに自分の身体を見下ろすと、はだけた胸や腹が悠丞の唾液でてらてらと光っていた。
「下も脱げよ」
俺は頷いて、寝間着にしているスウェットを脱いだ。下着も一緒に脱ごうとしたら、それが引っ掛かった。
ニヤリと笑った悠丞が俺のパンツに手をかけ、一気に引きずり下ろされた。
ビンっと勢いよく飛び出したそれを見て、悠丞は溜め息を吐くように、
「でっかいな・・・」
などと言うから、俺はますます赤面した。
俺が戸惑う間も与えず、悠丞は俺のそれを掴んで、顔を寄せ、舌を這わせ舐め上げた。
「んっ・・・」
我慢、しなくて、いいんだぞ。こんなの、全部、夢なんだからさ
舌を使いながら、悠丞は俺の顔を見上げて言った。
熱を増していくそこに、対照的に冷たい悠丞の舌が、ますます気持ちよかった。

「身体起こして」
悠丞の愛撫に酔ったように、またいつの間にか横になっていた俺は、再び引っ張り起こされた。
不意に正面から抱きすくめられた。
「これは夢だから、正直に言ってくれよ。お前、俺のこと、どんな風に思ってたんだ」
「ふぇ・・・?」
惚けた頭に投げ込まれた問いが暫く反響し、数秒経って漸く慌てた。
「そ、れは・・・」
口ごもる俺を、悠丞は促すでもなく、ただ抱き締めて背中を撫でてくれている。
だんだんと、心が落ち着いてくる。
「好、き・・・だった」
その一言を言ってしまうと、後は自然と続いた。
「初めて会った時から。仲良くなりたくて、いつもお前にまとわりついてた。
エッチもしたいと思ってた。そんな夢も見たことある。
けど、気色悪いって思われたくなくて、嫌われたくなくて、ずっと我慢してた。
お前にまで嫌われたら、俺には、本当にもう、行くとこ無いし、生きて、いけない・・・」
最後は泣き言のようになった俺の告白を聞いて、悠丞は顔を上げた。
「そうか・・・」
反応が怖かった。どうせ夢なのに。
「・・・立て」
「え」
「いいから。そこ座って」
言われるままに立ち上がり、言われるまま、俺は調理台の上に裸の尻を下ろした。
「見てろよ」
言うと、悠丞は自分の着ていたものを上から順に脱いでいく。
裸は風呂でも見たことがあるのに俺は、期待、していた。
最後にパンツを脱ぎ捨てた時、当然俺の目はそこを凝視した。それは殆ど自動的な動きだ。
「エッチしよう」
「え――」
――っち・・・頭が空っぽになる。
「お前がしたいって言ったんだろ」
「い、言った」
だけど、
「言ったよ、でも、」
さっきの告白で、返答が、それ・・・なんていうか・・・いや、いやじゃないけど、
「仰向けになって、尻、抱えて」
有無を言わせぬ悠丞の口調に、俺は従う。
これは随分恥ずかしい姿勢だが、今さら照れもない。
「今から、これ、入れるから、ここに」
そう言って悠丞の冷たい手が俺の尻を撫でた。思わず身震いし、身を捩る俺の腰を、悠丞が掴んだ。
「逃がさないよ」
「ちょ――」
悠丞は俺の顔に再び顔を寄せて、
「最高に気持ちよくさせてやるから」
っ・・・。
俺は、目を逸らしながら、小さく頷いた。
悠丞は満足そうに頷いた。
もはや、抵抗する気も無い・・・ただ、気持ちよくなれればいい。
夢だから。
現実の悠丞が俺にこんなことしてくれるわけは無いんだ。
だったら、せめて、夢だけでも――
「入れるぜ――」
「え・・・そんな、いきなり――ッ!?」
ぐぼっと割り入ってくる悠丞のそれを感じた。
やっぱりそれは冷たかったけれど、俺の身体には電撃が奔った。
「は、う・・・ぁっ・・・!?」
「さぁ・・・楽しもうよ、春栄・・・」
余裕の笑みを浮かべる悠丞に、俺は快感に震えながら繰り返し頷いた――

昨日のうちに帰る心算が、予定より長く時間を食ってしまった。
今回の依頼は何から何まで妙だった・・・。

***

呼ばれて訪ねた先は、一見してわかるほどの「オカネモチ」の家だった。
白い塀に囲まれた純和風のお屋敷と言った風情で、俺みたいな人間には敷居が高かった。
玄関を潜ると待ちかねていたように夫妻が立っており、焦燥しきった顔をしていた・・・。

この家の息子が前触れ無く姿を消したのは十年も前のこと。当時まだ15歳、中学生だった。
夫妻は息子を捜し続けていたが、一向に手がかりすら無く、誘拐か、変質者か、とにかく、発見は絶望的と見られた。
その息子が、変わり果てた姿で見つかったのが、つい一昨日のことだ。
・・・否。変わり果てた姿というのには、少し間違いがある。

――経緯を聞きながら、長い廊下を歩いた。
「このお庭で、見つかったというのですか」
「えぇ・・・私達にも、何がなんだか」
突如消えた息子が、突如我が家へ帰ってきた、ということになる。
「とにかく・・・ご覧になっていただけますか」
通された部屋には、顔に白い布を被されて布団に横たわる人物があった。
これが、その息子だと言うのだろうが・・・。
十年も前に亡くなったであろう人間ならば、今は骨か、悪くて腐乱、良くて屍蝋化状態だろう。
それをこうして布団に寝かせている神経が知れない・・・いや、親ならば理解できないこともないか。
俺は仏教徒ではないが、形だけ手を合わせてから、遺体の顔を覗く。
「な・・・!?」
・・・一瞬間、息が詰まるほど驚いた。
布の下にあった顔は、生々しい人間の顔。
顔色は青白く、唇は微かに乾いてきているが、生きているかのような顔だった。
「これ、は・・・」
「息子です」
「いや、しかし」
俺はまじまじとその顔を見つめてしまい、逸らすことができない。
「確か、先ほど・・・十年前、と・・・」
「えぇ・・・息子が15の時でした」
だが、目の前に眠っているこれは・・・この、子供、は・・・どうしたって、15かそこらにしか見えない。
「その、服も、居なくなった当時の格好のままです。
いなくなったその時のままの姿で、一昨日、庭に倒れていました」
俺は言葉を失った。
木乃伊化しているということも無い。冷凍保存? まさか。そんなことをして、誰に何の得がある。
この姿のまま保存した死体を、この家の庭に遺棄したと言うことなら、この家に相当の恨みを持つ人間の仕業とも捉えられる。
だが、見たところ人の良さそうな夫婦、ここまでの恨み言に関わるような人間には見えない。
第一、十年も死体を新鮮に保つなんてこと、労力がかかるだけで大した意味が無いように思う。

そうしていろいろ考えていくと、俺が今日ここに呼ばれた理由に合点が行く。
「妖しの者の仕業ではないか・・・ということですか」
「そう、言い切れるとも思いませんが・・・人の手で、こんな、むごいことをするとは、とても・・・」
そうだな。俺も、そんな風には思いたくない。
「人から恨まれる憶えも無いわけですね」
主人は黙って首を振った。
「妖しの者の仕業だとすると、それは一体・・・」
「私も、たちどころに判るわけではありません・・・」
俺は、言葉を選びながら、
「大変失礼なことですが、ご子息の身体を少し拝見してもよろしいですか」
「え・・・は、はい・・・」
何を言い出すのか、という顔をされたが、一応頷いてくれた。

主人の視線の中、俺は少年の衣服を順に脱がせていった。
少年の身体は、時が止まったように、瑞々しくハリがあった。
だが、冷たく、青く、生きてはいないこともまた明らかだった。
下半身まで調べてしまっても、結局は何という手がかりも見つけることが出来なかった。
「あ、の・・・」
服を戻そうとした時、主人が消え入るような声を発した。
振り返ると、何か言い辛そうな顔をしているので、俺は向き直って促した。
「どうされました。何か、気づいたことでも・・・?」
「いえ、大したことでは・・・記憶違いかもしれません。十年も前のことです」
「構いません。教えてください」
主人は身を乗り出して、息子の下半身を注視してから、すっと顔を逸らした。
「あの・・・息子は、当時、まだ・・・皮を被っていた・・・ように、思います」
「は・・・?」
思わず訊ね返して、嫌な顔をされたので、慌てて頭を下げて咳払いをした。
「つまり・・・こう、ではなかった、ということですよね」
「はい・・・それに、少し・・・大きく、なったように・・・」
今、目の前に居る少年のそれは、すっかり剥け切っていて、いやそれどころか、黒ずんですらいるように見えた。
「当時息子さんは、その・・・経験の方はまだ、だったんでしょうか・・・」
「わ、私の知る限りでは、まだ無かったと思いますが・・・」
どうしてこんな話をしているのだろうかと、俺も主人も気まずさを感じていた。
だが、主人のその記憶が正しいものとするならば・・・この少年は、姿を消してから経験を重ねていた、ということに・・・。
いや、そもそも、身体そのものは当時と何ら変わっていないのに、そんなこと・・・。
少年は、十年間、老いることなくどこかで生き続け、誰かと交わり合っていたということになる。
「それから、その・・・」
主人がまだ何か言いかけている。今度もまた言い辛そうなので、俺は頷くだけで促した。
「胸が・・・」
「胸?」
「はい・・・少し、膨らんだように思います・・・」
胸が、膨らんだ・・・?
「そ、の・・・乳首も、大きく、なったような・・・」
ち・・・くび・・・?
よくもまぁ、そんなところまで憶えているものだ・・・。
これも本当のこととすると、本当に、この少年は十年が遊び呆けていたのかもしれない。
と、主人が突然立ち上がり、少年の足元へと行くと、白い脚を持ち上げるようにした。
「ちょ・・・何をしているんです」
主人はそれには答えず、持ち上げた先にあるものを注視した。
更にはそこへ手を伸ばし、指先で触れるようにした。それから改めて驚いた顔をする。
「あの・・・何を?」
「これを、見てください」
「え?」
促されて見るようなものでも無かったが、主人の真剣な表情に負けて回り込み、目をやる。
少年のそこは、太いもので押し拡げられたように・・・いや、恐らく、きっとその通りなのだろう。
内部が見えてしまいそうなほどに、大きく口を開いていた。
ここまで見て、俺は少年をかどわかした者の正体にうすうす気がついていた。
しかし・・・それよりも重大な疑惑にも、思い当たってしまった。
「ご主人・・・」
「は、はい・・・何かわかりましたか」
「えぇ」
俺の答えに居住まいを正した主人へ、向き直って、
「貴方・・・息子さんと通じていましたね」
「な・・・」
見開かれた目が、一瞬のうちに横に揺れ、宙を泳ぐ。
それだけで、俺の考えが間違っていないことを表している。
だいたい、性器の大きさや状態、乳首や肛門の具合まで、親と言えど把握しているわけは無いのだ。
「私はどうこう言う心算はありません。貴方達が当時幸せだったのなら、それでよいと思います。ただ、」
俺は言葉を一旦切って、溜め息を挟んだ。・・・あまり言いたくない。
「息子さんが消えてから、貴方、後悔したんじゃありませんか」
主人の顔が引き攣る。・・・真面目そうな男だ。正しいと思ってやっていたわけではないだろう。
「だとしたら、せめて、この息子さんは静かに送ってあげるといい」
そう言い切って、俺は立ち上がりかけた。
「あ、あの・・・!」
「誰にも言いませんよ」
吐き捨て、思いついて続けた。
「息子さんを攫ったのは、なるほど確かに妖怪でしょう。でも、その正体は教えてあげません」
「そ、んな・・・何のために呼んだと――」
「息子さんをこんなにしたのは、そいつだけのせいじゃない。・・・わかるでしょう」
主人は今度こそ真っ青になり、項垂れた。
俺は礼も受け取らずに屋敷を後にした。

思いの外早く引き上げてしまったので、推測を確かなものにするため、そのまま近隣の調べをした。
主人の言う通り、あの少年の身体にはべったりと妖の気配がこびりついていた。濃すぎるほどに。
何かの妖怪に憑かれていたものと見てまず間違いないだろう。そいつは一体何者だったのか・・・。

町中で聞き込みを続けると、先ほどの屋敷からさして離れていない場所で、何件も同様の神隠しが起きていることがわかった。
消えたのはいずれも男、職業は学生からサラリーマンまで様々で、年齢も十代から四十代まで幅広いが、子供がやや多いような気がした。
この十年ほど、間を開けて頻発している。数はわかっただけで十数件。まだ他にもあるだろう。
「十年・・・」
その数字も気になったが、何より、被害者達には奇妙な共通点があった。
皆、あの死体の少年と知り合い、若しくは顔見知りで、残された家族もそのことを知っていた。
これは、ひょっとすると…。
いやしかし、当の本人が既に死んでいることは間違いない。たった今、この目で見て来た。
だとしたら、既に脅威は過ぎ去った後ということか。
いや・・・違う。
消えた男達はどこにいるのか。何をしているのか。
俺は頭に浮かんだ嫌な想像を振り払うように頭を強く振った。

調べているうちに日が暮れてきたので、帰るのを諦め、宿をとった。
同時に、少しの期待と警戒をしていた。あの屋敷の近くで、まだ何か動きがあるんじゃないかと思った。
けれど、夜通し起きていたのに、何ということも起こらなかった。
ただ、うつらうつらしている間に、懐かしい人の夢を見た。
嘗て俺がただひとり心から敬愛した人。
あの日のままの姿で俺の夢枕に現れ、あの日と同じように笑って、そして・・・。

俺は眠い目を擦りながら宿を発ち、帰路についた。
慣れ親しんだ神社の石段の下まで来て漸く、知らず肩に入っていた力が抜けた。
どうしてこんなに緊張しているのだろうか。
その理由は、石段を登りきった先にある鳥居を潜った瞬間にわかった。
背中を戦慄が走り抜けた。
「・・・なんだ?」
これまで何度も味わってきた感覚。
強力な妖と対峙した時、あるいは・・・正体の知れぬ妖に、知らぬ間に囲まれていたと気づいた瞬間。
何度味わっても慣れることのできない感覚に、思わず懐に手を差し入れ、携帯している御札を掴んだ。
本当は刀を持ち歩きたいのだが、この時世、仕方ない。
辺りからは、はっきりとした妖の気配がするわけではなかった。
ただぼんやりと、しかし歴然と、言うなれば残り香のようなものが漂っていた。
「まさか、襲撃を受けたのか・・・」
舌打ちしながらも、俺は足音を消して母屋へと駆けた。
人の気配は、する。いつもと変わらない、子供達の気配だ。
そのことに少し安心したが、気を緩めることなく、俺は勝手口から中の様子を伺った。
その瞬間、飛び込んできた光景に、俺は今度こそ頭が真っ白になった。

勝手口から覗き込んだ台所には、浮世離れした光景があった。
調理台の上に仰向けになった裸の春栄の身体、それに覆い被さるようにして貫く半裸の悠丞。
春栄は泣き叫んでいるのかと思ったが、よく聞けばその叫びは嬌声だった。
呆けている俺の前で二人は体位を変え、悠丞は春栄を貫いたまま抱き抱えて立ち上がった。
春栄は股をM字に開いたまま絡ませるように、悠丞の身体にしがみついた。
悠丞が腰を突き上げ、春栄はいっそう激しく雄叫びを上げた。
これは・・・この画は、何だ? 現実か? それともまだ、夢を見ているのか?
だけど・・・別に、あり得ないことじゃない・・・のか?
こいつらが、前からこういう関係で、ただ俺がそれを知らないだけ、ってことも・・・。
「あ・・・ししょ・・・」
悠丞がいつのまにか身体の向きを変え、こちらに背を向けていた。悠丞の背中越しに、春栄とばっちり目が合った。
呟いた春栄に釣られて、悠丞までこちらを振り向いた・・・俺は無意識に後退りしていた。

「お師様」

「っ!?」
今度はまた思いがけない方向から、背後から呼ばれて身体を捻りながら跳びすさった。
そこには、空太が、俺を見つめていた。
「お帰りなさい」
「お前・・・」
いつの間に、俺の後ろに立った? 足音どころか、気配さえ感じなかった。
寝惚けていたって、いや、眠っていてもその程度の感覚は保っている自信がある。
「何を驚いているんですか? 気配を消すくらい、どうってことないですよ」
その言葉に、俺はまた驚いた。
空太が気配を消すなんて芸当をできることに、ではなくて、俺の考えを見透かしたような空太の言葉に。
「随分遅かったですね・・・遅すぎますよ。昨夜のうちに帰ってくれば・・・いや、」
空太は無邪気な笑みを浮かべ、
「どうにしろ結果は同じだったでしょうね」
笑った空太に背を向けて走り出そうとしたが、俺より数瞬早く飛ぶように駆けた空太に行く手を阻まれた。
「な・・・」
背筋が冷たくなる。
「すごいでしょう? 今じゃお師様より早く走れるんです」
その言葉は無視して、再び走った。
全力で本殿裏に駆け込んだ時には、息が上がっていた。
「はぁ、はぁ・・・ふぅ」
息を五つ吐く間に呼吸を整え、同時に心も落ち着ける。

「お師様!」

また急に名を呼ばれて、心臓がひきつったが、振り仰いだ先には天太の顔があった。
「早く、こっちです」
天太に導かれるまま、本殿の中へと逃げ込んだ。途端に、周りを取り囲んでいた妖しい雰囲気がさっと消えた。
「あいつら、ここへは入って来ないんです。御神体の力でしょうか」
「あぁ・・・」
冷水神社の御神体は丸い大鏡だが、そこに宿っているのは神ではなく、歴代の退魔師達の霊力だ。
「お前、無事だったか」
目の前にいる天太は、空太達とは違い、その身から妖の雰囲気はしない。
「なんとか・・・お師様、どうして・・・どうしてこんなことに、なったんでしょうか・・・」
天太は項垂れ、頭を抱えた。らしくない姿に、思わず肩に手を置いた。
「・・・お前、身体が熱いぞ。熱でもあるんじゃないか」
「いえ、別に・・・お師様こそ、手が冷たいですよ」
「そうか・・・?」
俺の方が、緊張しているのかもしれない。
自分の手を揉みながら、改めて頭を整理しようと試みた。
「あいつらは、いつの間に・・・あんなことに」
「はじめは空太だったと思います」
「なに」
「あいつ、言ってたでしょう・・・毎晩変な夢を見る、って・・・あれ、ただの夢じゃなかったんじゃないでしょうか」
そういえばそんなことを・・・くそっ、どうしてもっと早く気づかなかったんだ。
「夢の中で、あるいは、夢の中と偽って、夜中に空太に取りついたのかもしれないな」
「あれが、鬼・・・ですか」
「そうだな、ある意味では・・・あいつらは鬼に取りつかれ、自らも鬼に身を堕としてしまったのだろう」
「空太のせい、じゃないんですよね」
「違う」
俺が断言すると、天太は力無い笑みを浮かべた。
空太は悪くない。いくら才能があっても、まだ子供・・・気づいてやれなかった俺の方が罪は重い。
「俺・・・昨夜、空太に襲われそうになったんです」
「何・・・それは――」
天太は首を振り、
「いつものあいつの姿をしてるのに、中身はまるで別の人間・・・いや、人ですら無いような・・・」
天太の肩が震えていた。
「あいつ、身体が、氷のように冷たかった・・・まるで、し、」
天太は、言いたくないという様子で言葉を切り、重々しく続けた。
「死人、みたいに・・・」
天太のすがるような目が俺を見る。
「お師様、あれは、一体・・・」
天太の問いに答えるためには、昨日見てきたものについても話す必要があるように思った。二つの事件は、恐らく無関係ではない。

「昨日私は、依頼を受けてある屋敷を訪ねた。
十年前に失踪した息子が、死体となって見つかったという話だった。
だがその死体は、まるで時が止まっていたかのように、十年前の幼い姿のままだった。
ただし、死体には、男との交わりを長い間繰り返していたかのような痕跡があった」
「それは、どういう・・・」
理解できないでいる天太に、俺は全てを話すことにした。
「十年前、その息子に取りついたのは、恐らく淫妖の類だ。
その子は、父親と、親子の間でありながら交わりを持っていた。
そのために傷つき、荒んだ心に、淫妖が目をつけたのだろう。
その時点で既に、その子は人として死んでしまった・・・。
だが、その後屋敷の周辺では、息子と知り合いだったという男達が次々に姿を消している。
これは恐らく・・・取りつかれた息子自身の仕業だろうと思う。
今度は彼が淫妖となり、男達を襲ったのだ。
その淫妖は、死体と、死人の心を操るような、かなり強力な奴だったのだろう。
全て確信が無かったが、今、空太や悠丞を見てわかった」
それはさながら鬼ごっこの遊びのようだ。
だが、遊びとは違って、鬼となった者は元には戻らず、増えていくばかり。
「それ、じゃあ・・・空太、は・・・」
天太の瞳が揺れる。
「あいつはもう、死ん――」
俺は思わず天太を抱き締めた。あまりに惨い仕打ちだ。
・・・それを考えると、あの主人にも少しきつく言い過ぎたかもしれない。
赦せない、許せるはずがない・・・俺の弟子達を、あんなにしやがって・・・。
「俺達・・・俺達も、あんな風に・・・」
「心配無い」
天太の背中をさすってやる。
「この神殿には、札も、神刀も、神水も充分蓄えてある。万が一踏み込まれても大丈夫だ」
「そんな・・・空太を、殺すんですか・・・」
「違う。あいつらはもう、妖に殺されてしまった。俺達はその妖を殺し、あいつらを助けてやるんだ」
天太は随分戸惑っていたが、やがて覚悟したように頷いた。
「わかりました」
「よし・・・」
天太の身体を離し、頷いて立ち上がろうとした。
――が、

・・・?

身体が動かない。
「お師様、ご自分で仰ったのに・・・」
「何・・・」
「人の姿をして、人ではないもの・・・鬼は、あいつらじゃない」
天太が、笑っていた。
「本当の鬼は、俺ですよ」

「これは・・・」
困惑する俺の前で、顔を上げた天太の手には、見慣れたものが握られていた。
「お前、それは」
「呪縛の札です・・・この前教わったばかりですね」
俺は思わず歯軋りした。
「人に使ってはいけないとも教えたはずだ」
「それはつまり、妖だけじゃなく人にも効果があるって意味です」
変なところで賢しい・・・くそっ。だが、
「どうしてだ・・・お前は、まだ、人だろう・・・なぜこんなことを」
「言ったでしょう・・・昨夜、空太が俺の所に来てくれたんです」
天太はどこかうっとりした表情で宙を見上げ、
「最高の体験でした・・・俺、ずっと夢見てたんです・・・空太と繋がれることを・・・
あいつはまだ小さいから、俺も我慢して、いつかあいつが大きくなったら、気持ちを打ち明けて、繋がりたいと思っていたんです・・・
それが、まさかこんなに早く、しかもあいつの方から、俺のことを好きって、何度も何度も何度も何度も言ってくれて・・・
あいつの方から俺を求めてくれて・・・最高に気持ちよかった・・・でも、まだ、あいつの中に、入れてないんです・・・
駄目だって言われて、入れさせてくれなくて、オアズケ食らっちゃったんです・・・俺にはまだ仕事があるからって・・・
お師様はきっと抵抗するから、俺はお師様を油断させるために、まだ人のままでいなくちゃいけないって・・・
やった・・・上手くいった・・・空太の・・・空太様の言う通りにできた・・・
だから今日こそは、俺、空太様、と・・・ふふ・・・ふふふ・・・」
言っている間に興奮してきたのか、立ち上がった天太のズボンの前は大きく飛び出していた。
思わず身を退こうとして、身体が動かないことを思いだし、舌打ちした。
「お師様、さっき言ったでしょう・・・『俺達もあんな風に』って・・・早く、俺達もあんな風になりましょうよ・・・
それに、俺が、空太を殺させるわけないでしょう・・・空太は死んでなんていませんよ。
ちゃんと生きて、動いて、笑ってるじゃないですか」
「違う、あれはもう――」
「空太を『あれ』なんて呼ぶな」
「ぐっ・・・!」
いきなり蹴りが飛んできて、動けない俺の鳩尾を打った。
「お師様・・・いい加減に諦めてください。見苦しいですよ。そんなになってまで・・・」
天太は俺の腕を掴んで無理矢理に立たせると、神殿奥、祭壇の方へ引っ張っていった。
「何を――」
俺の声は無視して、天太は祭壇に供えられた野菜や果物、神酒を足蹴にして祭壇の上に道を作ると、
俺を引きずったまま階段を上るようにして祭壇に足をかけた。
「お前、こんな、不届きな・・・」
「いいじゃないですか。こんなの、もう全部、意味無いんですから」
天太は俺を、御神体を納めた社の前に立たせ、社の扉にかけられた縄を無造作にほどき、軋む扉を開いた。
「ほら、こんなの、ただの大きな鏡でしょう」
姿見ほどもある丸鏡の中に、俺自身が映っていた。天太に支えられながら何とか立っている。

――顔が青い。

「いつまで経っても気づかないから、俺が教えてあげます」
天太は俺の手をとり、俺の胸に当てさせた。
「・・・え?」

鼓動が・・・ない・・・?

「なに・・・どう、して・・・」
「ちゃんと思い出してください・・・昨夜の、夢の中の出来事を」

宿でうとうとしていると、不意に襖が開いて、あの人が現れた。
さも当たり前のような、無造作な登場だったけれど、だからこそ、夢を見ているのだとすぐにわかった。
だって、この人は、死んだのだ。十年も前に。

「久しいな」
「ご無沙汰しています」

そんな当たり前の言葉を交わしてから、お互いに顔を見て笑った。

「あれは・・・夢だ・・・あの人は、死んだ」
「そう、死んだ・・・十年前に」
「十年・・・」
「縁のある数字ですね」
天太は後ろから俺の身体に手を回して撫でる。掌が温かい。

夢だとわかったから、俺は自然とあの人を求めた。いや、夢でなくとも同じだった。
十年の間、どれだけ会いたいと願っても会えなかった。夢にさえ出てくれなかった。
身体に触れると、あの人は、師匠は笑って俺の手を握り、股間へと導いた。
触れたそこは既に硬くなっていて、俺は嬉しく、酷く興奮した。
何もかもあの頃と同じだった・・・師匠の笑顔も、十年前の若々しい姿のまま。
ただ俺だけが、きっちりと十年分、歳をとった。

天太は俺の股間を揉みながら、
「十年前のことを、よく思い出してください・・・その人は、何故命を落としたんですか」
「それは、妖を、退治に行って・・・そのまま、帰ってこなかった」
「それはどんな妖でした? どういう依頼でしたか?」
「それは、確か、」
濁る思考の中で、ゆっくりと浮かび上がってくる事実があった。
「子供が、毎晩、魘されているようだと・・・妖怪がとりついて、悪さをしているんじゃないかって・・・」
「そう、その家の息子にとりついていたんです・・・幼い子供の妖怪が」

師匠はあの頃と同じように俺の身体を撫でてくれた。
すると俺の身体も、あの頃と同じように昂った。
「師匠・・・」
「暫く見ない内に、熟れた良い身体になった。見違えるようだ」
ほめてもらえて、俺の身体はますます火照った。
ただ、何か違和感があった・・・。
そう、師匠の身体は・・・冷えきって氷のようだった。

「十年前のその日、神社を出たその人は、幼い妖怪に惨めにも負けてしまったんです」
「そんな、馬鹿な」
「ええ、並の妖怪なら負けるなんてあり得なかったでしょう。でもその妖怪は、少し特殊だった。
人の姿をしながら、妖怪の知恵を持っていた。そいつは、ある人物に化けて、その人に近づいたんです。
そう・・・十年前の貴方の姿に」
「そんな」
「だから気を許してしまった。昨夜の貴方と同じです。鬼の言葉を聞いてはいけないと教えたのは貴方なのに」

「し、しょう・・・!」
「力を抜け・・・大丈夫だ、何も恐れることはない・・・」
師匠の冷たい身体に包まれているのに、俺の身体はどんどん熱くなり、力は師匠の言葉通り抜けていった。

「そうして貴方の師匠は死んだ。殺された。けれど、十年間、生き続けた。死人を操る妖の力によって。
下手に知識や力を持っているから、かわいそうなことになった。
人ではなくなったのに、妖に身を堕とすこともできず、妖の力に抗いながら、境目でずっと苦しんでいた」
「そん、な・・・師匠が・・・」
「けれど、情勢が変わった。妖は、空太に目をつけた」
天太は俺の着物の前をはだけさせ、手を差し入れてくる。天太の温かい手に撫でられながら、俺の身体は昂っていく。
奇妙な熱が湧いてくる・・・熱くて、冷たい、何かが・・・。
「知っての通り、空太は退魔師として優れた才能を、強い霊力を秘めています。
俺達の誰よりも・・・将来的には、師匠、貴方をも超えるでしょう」
天太の手が、硬く膨れ上がった股間に触れた。
「うっ」
「けれど、空太には経験と耐性が足りなかった。貴方が言った通り、あの妖に狙われれば、ひとたまりも無かった。
その妖は、空太に全てを渡して自らは息絶えた。今度こそ本当に、ね」
天太の手に扱き上げられて、股間がびくびくと震える。
「はぁっ、はっ、・・・ぁっ・・・」
「力を継いだ空太は、妖としての本能のまま、手近な若い男を喰い始めた。
最初に俺のところへ来てくれた…嬉しかった。
次は悠丞だった。あいつの恋人に心変わりをさせて、傷付いたあいつを喰った。
そして、配下にした悠丞を使って、春栄を襲わせた。春栄はもともと悠丞に惚れていたから、簡単だ。
それで、最後に、・・・」
天太は俺の帯をほどき、下着まで引き摺り下ろすと、剥き出しになった股間に俺の手を添えさせた。
俺は自然と手を上下させた・・・いつのまにか、身体を動かせるようになっていた。
俺は空いたもう一方の手で、自分の逞しい胸に触れた。昨夜の師匠がしてくれたように、突起を撫でる。
その手に天太が上から手を重ねた。天太のもう一方の手は、俺の口に入り込んできた。俺はその指を舌で舐め回した。
「漸く堕ちた貴方の師匠を使って・・・貴方を、喰らわせた・・・」
「あっ・・・あぁっ・・・!」
「どうです、いい加減に思い出しましたか?」
天太の熱い息が、耳を撫でた。
「貴方は、昨夜、死んでいるんですよ・・・貴方の愛した師匠に、殺されて」
扱く手が加速する・・・昨夜の師匠を思い出しながら、弟子に愛撫されながら、俺は・・・。
「ほら、さっさといけよ」
天太が舌を耳に捩じ込んで来た瞬間、
「あああああああ・・・!」

俺は、いった。
・・・堕ちた。
けれどもう、いつもみたいに、五月蝿いくらいの鼓動を感じることも無かった。
息も乱れなかった。息が上がったように感じたのは、俺の勘違いだった。そもそも息をしていない。
俺は、自分が死んだことに気づいていなかった。

・・・目の前の大鏡に、白い液が点々と飛び散っていた。
その奥、俺の後ろに、師匠が姿を現して、俺の肩に手を置いた。
・・・俺は笑った。
「師匠・・・」
「漸くこちらへ来たか・・・待っていたよ」
俺は師匠の手を握り、そっと撫でた。愛しさがこみ上げてくる。
「妖に身を堕としたお前の精で、ご神体が汚され、今やその力は掻き消えた。
それで私達もここへ入ってくることが出来た・・・ありがとう」
俺は師匠に褒められることがただ嬉しく、振り向いてその身体に飛びついた。
小さい時から面倒を見てくれて、鍛えてくれて・・・愛してくれた、俺の師匠・・・。
「ほら、みんなも来ましたよ」
天太に言われて顔を上げると、悠丞達が障子を開けて入ってくるところだった。
その中に空太・・・様、の姿を見つけて、俺は慌てて姿勢を正した。

「お師様・・・おかえりなさい」

空太様の言葉に、俺は喜びのあまりに泣いてしまった。

俺は、退魔師の総本山として名高い、冷水神社を目指して山を登っていた。
毎年多くの優秀な退魔師を輩出し、日本のみならず世界各地へとその名を響かせている。
疲労困憊で登りきった石段の先には古い鳥居があり、奥には赴きのある社が見えた。

「どちら様ですか・・・?」

急に声をかけられて驚いて振り返ると、俺よりも随分小さい、男の子が立っていた。
なんだか青白い顔をしているけど、笑顔のかわいらしい子だった・・・。
「あ、あの、俺、今日からここで――」
「あ! 新しいお弟子さんですね!」
飛び跳ねるようにして喜んだその子は、俺の身体に飛びついてきた。
ヒヤッと冷たい手で腕を掴まれた・・・けど・・・。
なんだか・・・不思議な雰囲気の子だ・・・。
「歓迎します。みんな待っていますよ。さぁ・・・こっちへ・・・」
「あ・・・うん・・・」
なんか・・・頭が、ぼうっとする・・・。
「ほら、早く・・・」
その子は急かすように俺の手を引きながら、振り向いて、笑った・・・。

「これからすぐ、『ゴチソウ』の時間ですよ・・・」

(了)